二次創作 #とは

 ざわつくことを承知で言えば、フォロワー4〜5桁で、そこそこ絵が上手いオン専の絵師って、純粋に病んでるのが多い。勝手にキレ出して、ネットの人間誰も信用できねえとか言っちゃったり。晒しRT連発したりしてるの見てると正直怖いぞ。誰とは言わんが。まあ、twitterやっていれば誰だって何人かは心当たりがあるんじゃないだろうか。自分はそういうの、極力フォローしないようになったけど。この世の地獄とか書いちゃったしね。
 で、こういうタイプのやつってたびたび忘れていると思うので、陰でこっそりと書かせていただくのだが、二次創作の本義は「交流」だろう、と思うのである。人と人との繋がりである。人間関係である。それ理解できん奴がファンアートなんかしてたらそりゃ病むよね、って話である。
 確かに古来から、才能ある奴はどこかしらただならぬ憂鬱症を患ってる、とは言ったものだけど、多分ああいう類の憂鬱は先天的ではなく後天的である。憂鬱だから創作するのではなく、創作するから憂鬱になるのである。
 フォロワー数の多い二次創作者がなぜ憂鬱になりがちかと言えば、それはいくら投稿しても対価がないからじゃないか。当たり前だが、二次創作は他所の版権を借りて表現をさせてもらっているのだから、一銭でも利益を出したらアウトである。pixivやtwitterでいくら山のようにいいねを稼いだって、YouTuberのように再生数に応じた金銭が入ってくるわけではない。同人誌を出すにしても、すげえ金がかかる。
 二次創作って基本的にやってて良いことなんてほとんどないのである。自分の金と人生を相当数、犠牲にする営みなのである。そりゃ、病むさ。では、いかにしてそんな不条理なことを人はなしうるのか?
 大事なことだからもう一度言うが、二次創作の本義は「交流」である、人と人との繋がりである、人間関係である。これをさらに突き詰めて突き詰めて突き詰めていけば……「愛について」語ること、になるわな?……「そこに愛は、あるんか?」(アイフル)である。推しへの愛について、誰かに語ること、あるいは誰かの推しへの愛に耳を傾けること。そこで「交流」が生まれる。推しについて語るときに、私たちが語ること、ってこれは言いたかっただけなんだけど、ついね。
 そう考えると、そこまで深く愛を語り合える人数なんて知れたもんだ。1000人の物言わぬフォロワーより、1人の語り合える同士の方がずっといいに決まってる。でも現実、フォロワー10000人いても孤独ってやつ多いし、「交流」よりもフォロワー数を増やすことだけに汲々とする連中も大勢いる。少ないフォロワー数のやつが、多いやつにリプライすると、「フォロバ狙い」を疑われたりするし、かといって、フォロワー多いやつなんかも、交流する気ゼロだったりするしで、なんとも。
 とかく、フォロワー数のパワーゲームになりがちなtwitterではある。でも、一方通行の関係って正直、全然面白くないのである。好きな共通事項があるんだから、少しは喋りたいというのがネット的人情である。
 だからこそ、まあ可能な限りで無理はせず、常識を弁えた範囲で、リプライを送ったり交流したり同人っぽいことをしたいね、というお話でございました。別にお後はよろしくない。