読者という御し難い何かについて

 この前、ちらりと「#字書きさんと繋がりたい」というハッシュタグはない、と書いたのだが、それは字書き同士の横の繋がりが弱い、ということも意味している。しかし、自分の考えとしては、互いの作品に反応を送り合う場は必要だ、と思っている。こっちは「同人」で、しかも二次創作というファンコミュニティの一環だからね。やっぱり、繋がりは大事だなあと。
 7月からtwitterで毎晩SSを書いていて、既に3ヶ月以上も続けてるからなかなかスゴいと手前味噌なのだが、それをきっかけに、他の字書きさんと交流する機会が増えた。交流する中で、他の方の作品を読んだりすると、自分には無い発想を見出したり(それが読むことなんだと思うのだが)して面白いし、なおかつ書く刺激になってくれるし、楽しい。
 話変わるが、きっとみんなとっくに忘れただろうが、8月か、『被虐のノエル』っていうwebゲームのノベライズを書いてた人が急に活動を止めると言ってバズっていた。理由は「感想が貰えないから」。色々な意見が飛び交っていた。
 まず、そういうこと編集部を通さずに勝手に表明しちゃうのは悪手でしかないよな、とは思った。ノベライズの刊行は1巻ごとの契約制らしく、1年近く新刊の連絡がなかったから、打ち切りだと書き手個人が判断してのことなんだろうが、あれやったらもういざとなっても、活動再開できないよなあ、どうすんだろ。
 もっと気になったのは、どうもこの作者、読み手を信用し過ぎているな、ってことだった。なんだか又吉直樹の『劇場』の主人公を思い出した。あの主人公も、観客を巻き込んだ劇を構想して、これは革新的だぞと興奮して上演するのだけど、思ったように観客が参加してくれずにいたたまれないほどの大失敗に終わってしまう。無様、と言ってもいいくらいに。
 自分は二次小説の字書きではあるけれど、だからこそ他の方の書いたものは興味をもって読むし、出来る範囲で感想も送るようにしている。だが、それは書いてる立場だからということが大きいし、字書き同士のコミュニティは必要だな、という考えによるからである。
 けれど読み手というのは、普通は「読み専」だし、その大半はこちらのあずかり知らない存在である。基本的に読む義理も感想を送る義務もないわけだ。確かに、pixivのブクマ数とか減ってたりしたら、人並みにガッカリするし、腹も立つけれど、まあ仕方のないことだ。
 ここで、RTA動画で名高いあのbiim兄貴が電ファミニコゲーマーのインタビューで言っていた「視聴者は敵」という金言を思い出そう。まあ、実際にそこまで言いきれるのはそれだけ観られた立場の人に限るのだろうけど、「読者はそこそこ敵」である、って温和的に言い換えてみようか。もちろん、いいねをしてくれたり、感想くれれば嬉しいけど、依存し過ぎるのはよくないんである。
 アレな物言いだけれど、少なくとも「読者は神様」って言っちゃうよりかはずっと気が楽だと思う。そもそも「客は神様」とかもそうだけど、なんで「神様」を善良なものと見做しちゃうかなあ。『ヨブ記』の時代から、既にして神は残酷である。日本に限っても、八百万の神だっていろんなのがいるだろうに。