エターなるオンプテ小説(1/4)

 

 久々の更新がてら、昔書いていた未完成黒歴史ポケモン二次創作小説を晒すことにした。といっても、一部はpixivの方にもアップしているのだが、とある同じく字書きのフォロワーから唆されたこともあって、それにだいぶ時が経ってそこまで恥じらわずに過去の文章を読めるようになったから、それが良いことが悪いことかどうかは置いておいて、ここに書きかけの全文をアップしときます。

 これについて言いたいことは色々あるけど、それについては、後々ここでなんか記事にでもしときましょう。

 

 ※ここの掲載分はpixivにアップしている「【♂×♂】【供養】あの大きな樹をぐるぐると【オンバーン×プテラ】」(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12072789)と同一なので、もしそれを読んでいる、という極少数の方は(2/4)からお読みください。

 

 1

 それはそれはいつまでもずいぶんずっと飛び回っていたような気がするが、まだ気持ちが全然落ち着かない。あの大樹の周りをゆったりといくら旋回しても全然足りない。煮えたぐる心をどうにか抑えながら、オンはわざとらしい深呼吸をするが、それでどうなるというのでもなかった。いまこうして夜更けの空を飛び回っているのは、結局のところ気を紛らわせているのにすぎない。あまりに気持ちが高ぶって、体を思い切り動かさずにはいられなくなるというだけのことで、それも大して意味もないということを、オンはうすうすわかっている。でもそうしないではいられない衝動が体内からみなぎってくるのをどうすることもできないのも確かだった。
 ただ、夜が明けようとしていた。さっきから森全体がざわめき始め、ちらほら飛び立つ鳥たちの姿も見えてきた。遠い地平線に太陽の浮かび上がる気配がする。淡く明るい光を夜行性の目に受けると、にわかに目まいがし、深いあくびとともに眠気が感じられた。そろそろ、さすがに、やっぱり、戻らなくちゃいけない。オンはゆっくりと大樹に向かって降下していく。どこからか鬨の声がした。
 住みかの洞窟の近くまで戻ってくると、そばに立つ木の枝にペラップが止まっていた。ペラップは熱心にタブレットというもの(オンはこの頃ようやくその名称を覚えたのだった)を睨んでいたが、物音に反応して、ちらりと彼の方に気むずかしい目を向ける。
「ああ、ペラップ、おはよう」
 と、眠たげにオンは声をかける。
「おはようというのでもないだろうが」
 ペラップはいぶかしげに返事する。
「おまえはこれから寝る身じゃないか」
「まあそうだけどさ、それ以外に言いようもないし」
 と言って、場違いなあくびをオンはする。ペラップは、ぱっくりと開いたオンの口内を眺めるでもなく眺めて、タブレットに視線を移した。
「ところで、そのたぶれっと?・・・・・・てので、何してんの」
「さあな。たぶん、おまえに説明してもわかってくれないだろうから言わん」
 ペラップはむかしトレーナーというのと一緒に旅をしたことがある、とオンは聞いたことがあった。だから外の世界にはかなり通じている、ヒトの言語もそれなりに理解できるようになって、声真似で、ある程度はヒトと会話することもできたらしい。
 常日頃手放そうとしないこのタブレットというものも、外の世界から持ち込んできたものなのだそうだ。ただ、タブレットを使うには、そのタブレットだけではダメで、充電ということをする必要があるんだそうだ。その仕組みは知るよしもないが、近くに住んでいるピカチュウの力を借りるようだ。
「なんでも、今日はこれから雨が降るらしい」
 と、ペラップタブレットから目も話さずに言う。
「そうかな。飛んでいる時はすごく空はすっきりしてたけど・・・でも、なんでそういうのがわかるんだよ、ろくに空も見てないくせに」
「天気予報というやつでね。・・・・・・雨が降ったら、おまえの洞窟に来ていいか? タブレットは水に弱いから」
 ペラップはそこで木のそばにたたずむオンに視線を移した。
「まあ、雨だっていうんなら、いいけど・・・・・・」
 オンは、重ねてあくびをした。ペラップの言っていることはよく理解できなかった。それに、ふと頭の中に閃くものがあった。
「そうだ、あいつはどうしてる?」
「まだ寝てるんじゃないのか」
 オンは住みかにしている洞窟に目を向けた。真っ暗だから外からは中の様子はうかがえないが、この洞窟の奥まったところがオンの寝床だ。とても見慣れた洞窟の外観を眺めているだけでも、オンは不思議な安心感を覚える。安心感と同時に、さっきからの眠気がいっそう、ぐっと押し寄せてきた。
「了解、じゃ、俺は寝る、おやすみ」
「・・・・・・おやすみというのでもないだろうが」
 ペラップはあきれ顔で洞窟に入るオンを見送った。そして、タブレットをまたいじり始める。手際よくアイコンを「タップ」し、次々と画面を表示させていくが、徐々に気が苛立ってくる。背後にはポケットワイファイなるやはり外から持ち出したものを立てかけてあり、ペラップはいらいらしながら、そのポケットワイファイの画面を調べた。
「やっぱり、ここじゃ電波が不安定になるか」
 しょうがないが、とペラップは肩をすくめる。
 ペラップの言ったとおり、彼はまだ眠っていた。
 すぐそばであぐらをかいて、寝顔を眺め、寝息を聞くと、心がかき乱されそうになった。オンは彼の隣に横になって、痙攣するほどに思いきり体を丸めた。そして力を一気に抜くと、空気の抜けた風船のように体中が弛緩し、眠たさがじんわりと浸透していくのを感じた。あとはじっとしているだけでよかった。するといつの間にやら、オンは眠りへと落ちていくのだ。


 2

 ボクが目覚めたとき、オンはまだ眠っていた。見た感じ、ちょっと体が汗ばんでいるみたいだった、熱でもあるんだろうか? なんだか鈍い響きが洞窟中にこだましているのだが、どうやら雨の音らしい。入り口の方に向かうと、雨音がはっきりと聞こえるようになってきた。
 ボクは洞窟の入り口で、ペラップさんが雨宿りしているのを見かける。ペラップさんは、タブレットを脇に立てかけて、外の様子をうかがっていた。
「起きたのか、おはよう」
 とペラップさんはボクに優しく声をかけた。
「おはよう、ペラップさん。今日は雨なんですか」
 そうボクは返事をする。
「ああ、雨はイヤだね、これもまともに動きやしない」
 と、ペラップさんはクチバシで苦々しくタブレットを指し示した。
「昼間からずっとこんな有様だよ・・・・・・君も雨はイヤだろう?」
「そうですね・・・・・・」
 ちょっとだけ外へ出ると、雨粒がボクの鼻先に鋭く突き刺さり、思わずピクリとした。寒さが急にボクの足下にまで達するみたいだった。
「夜のことは、あいつに任せておけばいいさ。あいつは濡れるのが好きだから」
 ペラップさんは、くすりと笑う。
「あいつはまだ寝てるのか?」
「ええ、ぐっすりです」
 と、ボクはオンが妙に汗ばんでいたのを思いだし、
「そういえば、オン、なんか結構汗をかいてたな・・・・・・もしかしたら熱でもあるのかも」
「馬鹿は風邪を引かない。ヒトの世界にはそういう言葉がある」
 と、ペラップさんはボクをたしなめる。
「あいつに限ってそんなことはないだろう」
「でも・・・・・・」
「寝る前に、ずいぶんと長い時間空を飛び回っていたらしい。何があったか知らんがな、気晴らしか何か?・・・・・・何の気晴らしかと聞かれても困るけど、ところで」
 と、ペラップさんは、オンのことは大して気にもしていないというように、あっさりと話題を変える。
「君はもうここの暮らしは慣れたか? あいつなんかより君の方が大事だ」
 ボクはとりあえずうなずく。
「正直迷惑だったんじゃないか? あいつと寝起きの時間を合わせなくてはいけなくなって」
「いえ・・・・・・でも、確かにちょっと不思議な感じです」
 なんと答えればいいのかボクにはわからなかった。オンは夕方に起きて、朝食として夕食を食べ、夜中に森の縄張りを巡って食料を集めると、夕食として朝食を食べる、そして朝方に眠る。ボクがオンのもとで暮らすことになった時に、ゴーに入ってはゴーに従えと、ボクはオンと同じ時間に起きて眠るように命じられたのだった。とはいえ、だからといってオンがボクに対して厳しいというわけでもなかった。時間を合わせること以外、オンはボクに指図することもない。
「まあいいさ、少なくともあいつは悪い奴じゃない、それは保証できる」
 とペラップさんは言った。
「それにしても、君もなかなか従順だよ、あいつの無茶ぶりにもすぐに馴染んでしまえるんだ。僕は昔、外の世界にいたことがあるけど、トレーナーに従う奴でさえ、君みたいに利口な者にはなかなかお目にかからなかった」
「そういうものですかね・・・・・・」
 ボクは照れてしまう、これは褒められてるんだろうか? 確かにボク自身、こんなに早くオンのリズムに合わせられるとは思わなかったのだけど。
「なあ、腹は減っていないか?」
 とペラップさんに尋ねられると、本当だ、起きたばかりのボクはお腹を空かしていた。
「さあ、あのバカを起こしてくるか。今晩は私も退屈だしご一緒するよ」


 3

 オンは耳元でペラップに爆音波をくらって跳ね起きると、急かされるままに食事の用意をさせられた。三匹で食事をした後には、ペラップに命じられるがままに、次の朝の食事のために、木の実を集めてこなくてはいけなかった。雨は相変わらず降り続いていたから、集めるのはオン一人きりになった。
「この子は雨がダメなんだ、苦手というのではなくてね。僕はトレーナーと一緒に旅をしていたからよく知っているけれど、こればっかりは無知蒙昧な精神論ではどうにもならない」
 とペラップは話すのだった。だったら、お前が手伝ってくれよと頼むと、別におまえに対してそんな義理もないだろ、とすげなく断られるのだった。
 木の実を集めること自体は別に苦でもなかった。オンは住みかの洞窟の周りを縄張りにしているから、その一帯の木々を漁っていけばよかった。縄張りでは常に警戒を払っているから、木の実を奪いに来た連中には容赦しない。こうして幾重にも睨みを効かせておいたおかげで、この頃は隙を盗んで木の実をくすねられることも少なくなっていた。それがオンにはちょっと誇らしいことでもあった、それは一匹のオンバーンとしてしっかり自立したということなのだから。
 こうして、急いで木の実をかき集めていると、オンはふとあの時のことを思い出さずにはいられなかった。そこでオンは彼に出会ったのだった、というよりは発見したというべきなのだろうか。いつものように、木の実を集めるために縄張りを巡っていたときに、まさにこの四本目の木で、オンは見慣れないものを見つけた。普段、縄張りを荒らしにくるのは周辺の草むらに住んでいるような小賢しい連中なのだが、明らかにそうしたものとは違っていた。彼は、自分と同様に腕と一体化した翼を持っていたが、自分が黒なのとは違って灰色で、石ころみたいな色をしている。違うといえば、彼はオンとは全く違っていた、けれど、全く違うわけでもなかった。わずかだが、親近感を感じないではなかった。
 彼は、オンの縄張りの木の実をむさぼり食っていたのだった。オンに見つかっても、しばらくはそのことに気がつかないくらいに食うことに気を取られていた。少し戸惑ったのには違いないが、オンにとってやることははっきりとしていた。縄張りを勝手に荒らす奴は問答無用で排除する、こういうタフな世界で生きるには、向けるべき時に牙を向けなければいけない。オンは即座に彼に襲いかかり、首筋を押さえつけようとする。反応の一歩遅れた彼はあおむけに倒されたが、激しく抵抗して両翼をばたつかせ、身をふりほどこうと必死になる。翼を打ち付けられたオンが一瞬バランスを崩した隙に彼は身を立て直し、翼をはためかせて逃げだそうとしたが、オンがすかさず爆音波を間近に放つと、驚きの余りひるんでしまった。その衝撃で落ちてきた木の実が二人の体に降り注ぎ、大量の木の葉が壁のようになって視界が遮られた。彼はどうすればいいか判断できず、動きが止まってしまうと、突然、オンが木の葉を突き破りながら現れ、彼に激しい体当たりをくらわせた。まともに一撃を受けた彼は、そのまま吹き飛ばされ、思いきり幹に背中を打ち付けられると、目の前が真っ白になる。
 俺は目をつぶってても、誰がどこにいるかわかるんだよな、とそんな決め台詞を吐いたような気がする。自分の聴覚の鋭さをぺちゃくちゃと語りながらも、幹に寄りかかってぐったりとしている彼をまじまじと眺めると、オンは彼の首もとをつかんでぐっと引き寄せて、にらみつけながら相手の素性を尋ねようとしたが、向こうは首をうなだれるばかりで答えようともしない。しばらく睨み続けた後で、おそらくこうしていても一向に埒が明かないだろうとオンは思い、彼を突き飛ばした。彼はもはや逃げ出す気力も残っていないようで、びくりともしなかった。こいつが何者なのかは相変わらずわからなかったが、しかしオンにとってはそんなことはどうでもいいことで、さっさと自分の縄張りから追い出そうとした。けれど彼がなおも幹に倒れかかったままうじうじしているので、苛立たしかった。凄みを利かせて、自分の鼻が彼の鼻先にくっつくくらいに迫って、こう吐き捨てた。
 次、俺が戻ってくるまでにここから失せなきゃ、容赦しないぞ。
 この場を立ち去ろうとした瞬間に振り返ってみると、彼はまだ凍り付いている。オンは再び彼に詰め寄って、教え諭すように、もう一度同じ言葉を繰り返した。
 次、俺が、戻ってくるまでに、ここから失せなきゃ、命はないぞ!・・・・・・ここは俺の縄張りなんだからな。


 4

 体を震わせながら洞窟に戻ってくると、彼はpと一緒にたき火を囲んでいた。その辺で適当に集めてきた木の枝に、ペラップが外の世界から持ってきた「七つ道具」のライターというものを使って点火したものらしい。暖かい空気が洞窟全体に行き渡っていた。オンがたき火のそばに飛びつこうとすると、ペラップが両翼をちょびっと広げて目の前に立ちふさがる。
「まずちょっと体を拭け。火が消える」
 いがみ合う二人の間に、すかさず彼が入り込んできて、オンにタオル(これもペラップが持ち出してきたものだった)を差し出す。
「おかえり、オン。寒かった? やっぱり、がたがた震えてるよ。これ、ペラップさんが焚いてくれたんだ。オンがそろそろ帰ってくる頃だろうって、ちょうど中が暖かくな」
 ペラップがとてつもなく大きな咳をしたので、彼は、オンに向かって苦笑いした。
「手届く? 背中は拭いてあげよっか?」
 言われるがままに背中を拭いてもらったら、オンは受け取ったタオルで全身を拭った。首もとのふさふさした毛並みは特に慎重に、ごしごしとタオルをこすりつけていると、お前の毛がまとわりつくからやめろとペラップにたしなめられた。
「そのくらいでいいだろ、さっさと飯を用意しろ」
 オンは取ってきた木の実を配る。ペラップとはここに住み始めてから長い付き合いなので、はっきりと確かめたことはないのだが、辛い木の実が好きということはなんとなく感じていた。それについ最近になって、食べる姿をよく観察していると、酸味の強い木の実を食べている間、妙に気の進まない様子をしていて、時々自分のことを恨めしげに見ることがあるのに気がついた。だから、ペラップには辛めの味の木の実を多めに渡し、すっぱい味のものはさりげなく自分の側に引き取ることにしていた。一方、彼の好みはまだわからなかった。遠慮しているのか、何をあげても特段イヤな顔をすることもない。オンはオンで、味の選り好みはすることはない。
 三人はたき火の周りで黙々と食事をしていたが、ふとオンは食べる手を止めて何かを話したくなった。あまり静かなのがなんとなくイヤだったのだ。そこで何か話題がないかと思っていると、はっとして、彼と初めて出会ったときのことを思い出した。
「そういえば」
 と、オンは唐突に切り出した。
「あの時、お前ががっついてたのって、何の木の実だったっけ」
「あの時?・・・・・・」
 彼はきょとんとした。
「お前が、俺と初めて会った時」
「そんなこと、お前が一番知ってるはずだろ」
 ペラップはひどく呆れていた。
「あそこはお前が四番目に見回る木だったはずだ。だったら、そこに生えてる木の実が何かなんて、言わずもがなだろう」
 そう考えれば、四番目の木になっていたのは、苦みのある木の実だとすぐに思い出せた。オンは思わず頭をかいて、照れ笑いした。彼もつられて含み笑いをする。
「まあ、そうなんだけど、そういうことじゃなくて」
 と、オンは意地を張って、そういうことじゃなくて、と繰り返したが、その先に続くべき言葉が何も浮かんでこなかった。
「・・・・・・どういうことなんだろうな?」
 オンは場を紛らせるために、わざとらしく大声をあげて笑った。しかしあまりにもうるさかったから、洞窟中に大音量の笑い声が響いて、ペラップと彼はたまらず地面に伏せってしまうくらいだった。
 騒音が収まると、ペラップは木の実を勢いよくオンに向かって投げつけた。熟していたからか、その木の実はオンのお腹にぶつかってつぶれてしまった。オンは慌ててタオルを手に取ろうとしたが、ペラップは素早く取り上げて、絶対に渡そうとしなかった。
「貴重なタオルで汚い体を拭くな。外にはシャワーがあるんだから、洗ってくればいいだろ」
 とペラップはきっぱりとはねつける。
 ばつが悪くて、オンはすごすごとまた雨降る洞窟の外へ出て行かなくてはいけなかった。


 5

 オンが外に出ているしばらくの間に、ペラップさんはボクにこんなことを話した。
「君は、あいつのことどう思う」
 とつぜん、そんなことを尋ねられると、ボクはどう答えればいいかわからなくなる。ボクはオンについてたぶん何かを思っているだろうけれど、どう説明すればいいものだろう。好き、だというのはたぶん正しいけれど、何かが違う、それは嫌い、だというのに比べれば正しいという程度のことだ。優しい、とか、かっこいい、とか、面白い、とか、しっかりしている、とか、ふさわしい言い方は他にもいっぱいあるかもしれない。でも、口に出して言うとなると、すべてちょっと違うような気がする。
「あまり難しく考えなくてもいい。直観でいいんだよ、こんなものは」
 とペラップさんは、ボクの困惑を察したかのように付け加える。オンに対しては絶対に見せてくれなさそうな穏やかな笑顔だ。
「えっと・・・・・・そうだなあ、なんだろう、なんか、いいなあ、って思います」
 何を言っているのかわからなくて、ボクは恥ずかしくなる。本当にボクは何を言っているんだろう?
「まあ、わかる気はするよ」
 ペラップさんはうなずく。
「毎回言っているような気がするけど、あいつは悪い奴じゃないし、何があったって悪い奴にはなりっこない、これは間違いない」
 ペラップさんは手持ちぶさたになったのか、残った木の実を羽根でつかんで、それをじいっと見つめ始めた。しばらく、不思議な沈黙がその場に流れた。
「私からすれば」
 ペラップさんはまるでそれが重大事であるかのように語る。
「あいつはとてもヒトがいいし、とても気が利く」
そして、つかんでいた木の実を思いっきり囓ったのだけど、飲み込むまでにひどく苦労して、何とか飲み込んだ後も、激しくむせった。
「あいつが馬鹿で本当によかった」
 そうペラップさんはつぶやいたように聞こえた。ペラップさんはまたむせってしまったので、ボクは慌てて背中をさすってあげた。ペラップさんの口にはその木の実はちょっと大きすぎたんだ。


 6

 オンが不満げな様子で二人のもとに戻ってきた。
「ぎゃあぎゃあ言ってるうちに、雨、弱くなっちゃったし! これじゃ、洗い流した気がしねえって」
 そういうオンの体は相変わらず果汁でびしょびしょだった。洗い流すというよりは、わずかな雨粒を体に塗りつけるようだったが、逆に汚れを体中にまんべんなく塗りたくったようだった。
「もうしょうがないから、そのタオル貸してくれって」
「やだよ」
 既に落ち着きを取り戻していたペラップは、ぴしゃりとオンの話を突っぱねた。
「どうせ木の実なんだから、いっそ自分で舐めたらどうだ、きっとうまいだろ」
「お前って、たまにまじめな顔でバカなこと言うよな」
 オンは肩をすくめる。
「だいたいそのタオルだって、洗って乾かせば元通りじゃんか?」
「悪いが洗剤を持ち合わせてないからな」
 ペラップは一向に引かない。
「それにいざってときには、ちょっと外から失敬してくりゃいいわけだろ? いくらでもなんとかなるだろうし・・・・・・」
「これは外から持ってきたばっかりだ。こんなに早くお前に汚されたらたまったもんじゃない。俺だっていっつも外に出られるわけじゃないんだからな」
 ペラップは、胸を膨らませてオンをにらみつける。
 オンは閉口する。ペラップがここまで意固地になった日には、絶対にタオルは譲ってもらえないことは確実だった。まあこんなことでペラップと喧嘩してもしょうがない、とオンは気持ちを切り替えることにした。それに、この場を険悪な空気にしてしまえば、彼をものすごくいたたまれない気持ちにしてしまう。彼は二人のやりとりに気圧されて、おどおどしている。さっきみたいに二人の間に入って、何かを言わなければいけないと思っているのに、適当な言葉が見つからないでいた。
「わかった。だったら久々にあいつんとこに行くとするかな!」
 オンは得意げな表情をしながら、彼の方をちらっと見やった。
「そういえば、おまえってまだ行ったことなかったっけ?・・・・・・そうだよな、じゃあせっかくだから一緒に来いよ、いいとこだぜ」
 彼は、ペラップの機嫌を気にしながらも曖昧にうなずく。まだちょっと二人のことが心配でならないというような素振りをする。
「大丈夫大丈夫、俺とこいつはいつもこんな感じだし。むしろこんくらいの関係が一番ちょうどいいんだよ。ちゅーよー、って、こいつがよく言う言葉なんだけどさ、そう、ちゅーよー、って」
 オンは彼の肩に腕を回して、がっちりと頬を押しつけた。彼は電撃を浴びせられたようにびくりとして、目をきょろつかせた。
「あそこへ行くんだったら」
 何食わぬ様子で、火をじっと見つめながらペラップは言った。
「あいつによろしくと言っておけ。長らく会ってないからな」
 了解の印にオンは翼を軽くあげて、彼の背中を軽くはたきつける。
「急ごうぜ、夜が更けないうちに行かなくきゃな」
 彼はうなずいてオンについていく。二人は洞窟の外に出たら、地面から跳ね上がるようにして森の上空へと飛び立った。


 7

 森の中心部にある山の麓に二人は着地した。ここへ向かうまでに、オンは彼にこの場所が森の住人にとっていかに大切な場所なのかを説明してあげていた。この豊かな森があるのは、この山があるおかげなんだ、たとえば、あそこにいくつか湖っていうのが見えるだろ? あれはこの山が大昔に噴火した時にできたらしいぜ、あれがあるおかげで俺たちは水に苦労しなくて大助かりってわけなんだよ、それに山の周りの地面には栄養があってさ、樹木とかぐんぐん育つんだよね。俺たちがいつも食ってる木の実も、その土壌があってこそあんなにたくさんなるんだよ・・・・・・って、これ全部、ペラップが言ってたことなんだけどな!
 二人は麓の茂みの中に入り、目的の場所までしばらく歩く。時々オンは立ち止まって、周囲の音に耳を澄ませた。そして次はこっちと方向を変えながら先に進んでいくのだった。やがて、どこからか不思議なにおいが漂い始めると、戸惑う彼に対して、オンはにやりとしながらどんどんそのにおいの方へと向かっていく。
「もうそろそろ、なんだかわかってくるだろ」
 オンは彼の後ろに回り込んで、背中を押した。彼はオンに押されるままに前進し、茂みを突き抜けていった。すると、目の前が突然まっしろになった。思わずつむってしまった目を、ゆっくりと開いてみると、何だか目の前にもくもくと白い煙をたてる池みたいなものが見えた。
「これが、この山の一番の恵みだよ」
 とオンは教える。
「温泉って、知らないか?」
 彼が素直に知らなかった、と答えると、オンはとても意外だという反応をした。
「まあ、絶対おまえも気に入ると思うし」
 とオンは彼の肩を叩く。そして、辺りに向かって叫んだ。
「おーい、オンなんですけど、誰かいます?」
 程なくして、脇の茂みからのそのそと誰かが出てきた。
「こんな時間に何だと思ったら、オンじゃないか、久しぶりだったなあまったく、元気かな?」
「お久しぶりです、コータスさん。おかげさまで、めちゃくちゃ元気ですよ。あ、ペラップの奴がどうぞよろしくって、言ってましたよ」
ペラップか、もし一緒に来たらば、長々と話でもしたかったもんだがなあ。この森で一番教養のあるやつだからなあ・・・・・・ところで、隣の、この子は」
 コータスは、長い首をゆっくりと彼の方に向ける。そして首をぐっと伸ばして彼の目を見つめる。
「・・・・・・どうも不思議なものだね。お前がこんな子を連れてくるとは」
「まあ、ちょっといろいろあったんですよ。話すと結構ややこしくなって」
 オンは手慰みに胸元の毛並みをいじくっていた。
「やっぱり、ペラップの奴もいた方がよかったかなあ」
 彼はどぎまぎしていた。彼にだって、どういうことかを説明することはできないのだった。あまりに複雑な事柄を、どう整理して話せばいいものやらわからずにいる。
「まあ、お前と一緒にいるからには、さしあたって私も安心できる」
 コータスは首を引っ込めかけたが、思わずオンに向かって首を向け直した。
「・・・・・・とはいえ、お前のその体の汚れは何だ、オン」
「ちょっとペラップに木の実をぶちまけられましてね。どうにも洗いようがなかったんですよね。だから、いっそのことひとっ風呂浴びちゃおうかと」
「お前も、ここのルールは知っていたはずだな? 入浴するなら、最低限、体はきれいにしておくこと、と」
 コータスはぶつぶつと、ここの厳密なる入浴規則について細々したことを話し始めた。それは、入浴前には山に対する感謝の念をしっかりと表すことから、次の利用者のために常に入浴前よりもきれいな状態にしてからあがるように心がけること・・・
「つまりは、お前は自然に対する尊敬の念が欠けておる。実にふがいない、けしからん、とんでもない!」
 オンはがっくりと耳を垂らしながらコータスの説教を聞いていた。その横で彼は全く置いてきぼりにされ、ともかく神妙な面持ちで佇んでいる。
「だが、お前は私と特別な仲だ。このまま無下に帰すことはしない」
 オンが安堵して顔を上げるのもつかの間、
「が、入る前に、焼きを入れてやらねばならんだろう」
 さあこっちへ来い、とコータスはオンを茂みの中へと無理矢理連れて行った。彼は呆気にとられて、オンが茂みの裏側に連れ消えていくのを見ていた。間もなく何かが激しく噴出する音がし、同時にオンの言葉にならない悲鳴を聞こえると、彼は慌てて茂みの方へ駆け付けに行った。


 8

「まったくコータスさんも、あいつに負けず劣らずなところがあって」
 湯につかりながら、オンはグチを漏らす。
「汚れを落とすからといって、何も真っ正面からあんな熱湯ぶっかけなくてもいいだろうにさあ」
 コータスから熱湯のシャワーをくらったおかげで、体は一応キレイ?になったものの、少々やけどでもしたのか、お湯に刺激されてお腹の辺りがひりひりするからたまらない。とはいえ、思い立ってわざわざここまでやってきたというのに、満足にお湯につからず帰るというのはいかにも馬鹿馬鹿しく、情けない話だった。何より、温泉につかるのが初めてらしい彼に心配ばかりされては、せっかくの楽しみがオンにとっても彼にとっても、台無しになってしまう、とそう考えて我慢して温泉に浸かっているのだった。
 しかし急にお腹が刺されたように疼くと、オンは歯を食いしばって何とかこらえようとするが、たまらず低い喘ぎ声が漏れる。
「オン、もうあがろっか?」
 彼はすぐさまオンに声をかける。
「さっきからなんかカタカタ震えてるけど・・・・・・」
「バカやろっ、俺はまだまだいけるぞ、俺は」
 オンは気合いを入れ直す。
「温泉ってのはな、おまえ、長く入ってないと意味がないんだよ、それに、こう熱いのを我慢して我慢してこそ、効用があるってもんで、こう・・・・・・温泉ん中のいいもんがじわじわって、さ、な、ゆっくりと、ゆっくりと、体に染みこんでいくんだからさ!」
 オンが勢いまかせで胸元を叩いてみせたのでしぶきがたち、それが彼の顔面にまともに飛び散った。彼はきょとんとして、目を頻りにまたたかせる。
「とにもかくにも、じっくりじゃなきゃ全然気持ちよくならないんだよ、こういうのは」
 多少、疼きに慣れてきたオンは、ほっと一息ついて、余裕そうな振りをしてみせる。
「まあ、せっかく来たんだし、おまえも俺のことなんか気にしないで楽しんでけよ。目をつぶりながら浸かると、最高なんだぜ?」
 と言いつつ、そんなことをしたらまたぞろ痛みがぶり返してしまいそうだったから、オンはしなかった。その代わり、やけどのことをなるべく考えまいとするために、勝手に思うこと思わぬことを口にしてやり過ごしていた。
 彼は目を軽くつむってみた。温かいものが直接中へ染みこんでくるような感じが確かにした。彼は温泉のへりにすっかりよりかかると、重さの偏った天秤のように、頭を後ろに反らし、木々の隙間から垣間見える星空を眺めた。こうしていると、何かとても懐かしい感覚、記憶のようなものが呼び覚まされそうな気がしたが、具体的な光景は何も思い浮かんで来るわけでもなかった。けれど、ただ暖かくて気持ちがいいものに浸っているのは、なんともいえない心地だった。
 彼がだいぶリラックスしてきたのを見ていると、オンもなんだかんだここに来た甲斐があって嬉しくなってくる。起きたそばから、雨に濡れ、体を汚され、熱湯を浴びせられてやけどまでして散々だけれど、ここはいずれ近いうちに彼に紹介しようと思っていた場所だから、結果オーライというところだろう。
 確か、こういうことをコータスは変な言葉で表現していたが、あれはなんといったっけ?・・・・・・タンタンタンタタンタンタタタン、こういう音のリズムだった・・・・・・フンフンフンフフンフンフフフン・・・・・・ウンウンウンウーンウンウーウン・・・・・・着実に答えに近づいてきているような気がして、遠ざかっているような、どちらか判断できないもどかしい思いに駆られて、オンは夢中になって考える。でも、それは考えるというよりは、突然のひらめきを身構えて待っているのだった。深く考えるよりかは、直感の方がうまくいくようにオンには思える。とにかく、同じ音のリズムを何度も頭の中で再生し、時には曖昧に口ずさんでみる。
 答えは一向に口から飛び出してこない。ただ、しょうもないことでも頭を悩ませることは今ならいい時間つぶしになるのだった。彼の方はかなり心地よくなってきたのか、すっかり目をつぶって、ちょっと寝息を立てているようでもある。オンがふと星空を垣間見ると、くっきりとした黒地の空に点々と輝く星が際立っていた。オンはふだん空なんか全然眺めない。洞窟暮らしとい習性でもあるし、だいたい空を飛んでいる時に、空なんてじっくりと眺めている奴なんていない。温泉でだいぶのぼせてきたからなのだろうか、オンの心はとても感動しやすくなっていて、星のきらめきを見ただけでもしんみりとした。一瞬、星が瞬いたように見えた。見間違いだったかもしれない、だがそんなことはどうでもよく、オンはついにさっきずっと考えていた言葉をひらめいた。――ニンゲンバンジサイオウガウマ!・・・
 とつぶやく直前に、とうとうオンの我慢が限界に達したのか、やけどの傷が温泉の熱さのせいで急激に痛み出した。まるで、お腹中を串刺しにされているのではないかと思うくらいの衝撃で、オンは思い出した言葉の代わりに、金切り声を響かせながらのたうち回る。
 脇でぐったりとしているオンを慌てて彼が抱きかかえて、大声でkの助けを呼ぶ。茂みから面倒くさそうな足取りでコータスが現れる。


 9

 コータスさんが言うには、オンはしばらく放っておけば勝手に復活するから大丈夫だということだ。でもボクはオンのことが心配だ。あんなに苦しそうな声をあげるオンは見たことがなかったし。やっぱり、火傷に染みるというのに無理にお湯に浸かったオンのことを、もっと気遣ってやればよかったのかどうか。でも、そんな考えをコータスさんは笑い飛ばすのだった。
「あんたは心配性だねえ。まあ、ここに来て日が浅いのだから仕方あるまい。なに、オンは丈夫な奴だ、たいがい寝れば治っちまう」
 と言いながら、オンがこれまでにしたひどい怪我をいろいろと挙げてみせるのだった。木の実に気をとられ過ぎて、不注意にも別の木の幹に全速力でぶつかってしまったこと。かっこうつけて、空中でバク宙しようとしたら、バランスを崩して墜落したこと。どれもこれも最初のうちは痛がりはしたが、ちょっと寝てればけろりとしたもんだ、といかにもおかしくてたまらないようにコータスさんは話す。
「でも、それって本当なんですか?・・・・・・ちょっと大げさなようにも聞こえます」
「私を舐めちゃいけないよ、あんた。うさんくさいなりに見えるかもしれんが、私はけっこう森の連中から信を置かれているのだよ。嘘は決して言わん。むしろ、あいつの存在自体が嘘だと言いたい」
 ボクはむっとする。コータスさんは苦笑いしながら、話題を変えた。
「無論、あいつはあいつでうまくやっているよ。ここで自分の縄張りを持っているということがどれほど立派でしたがって困難なことか、あんたにはわかるだろうかな?」
「ボクが初めてオンに会った時、すごく怖かったのを覚えてます。ボクはそのときオンの縄張りを荒らしてしまっていたんです」
 ボクを脅しつけるオンの顔つきは、今だと想像もできないくらい、冷淡で残酷だった。ボクの目の前で牙を剥き出しにして、言うことを聞かなかったらおまえののど笛をかみ切ってやるとでも言わんばかりだった。
「あいつの種族は縄張り意識がとりわけ強くてな、どんな小さいやつでも、どんな理由があろうとも、勝手に入り込んできたものは容赦しない。徹底的に排除する。場合によっては殺すのも厭わぬ。敵への残酷さにかけちゃあ、あいつはこの森でも一二を争うほどなのだ、実はな。相当、あんたは運がよかったらしい。どんな事情であいつがあんたを受け入れたかは知らんが」
 コータスさんは、後ろを振り返る。その茂みの裏でオンが横になっているのだ。さっきまではオンのうめき声が聞こえていたけれど、今は静かになっている。葉のそよぐ音に混じって、オンの寝息らしきものが聞こえている。
「ただ、この森ではある種の残酷さがなければ生きていけない。これがこの森の現実ってやつでねえ、別にあいつが極悪人だというわけではないから誤解はしてくれるな。そうそう、つい最近だったか、あいつがここを尋ねてきたときに」
 とコータスさんは突然、ボクに向かって首を伸ばし、声をひそめた。
「変な奴が縄張りに出没してるとな」
「変な奴って・・・・・・いったいどんな?」
 ボクはびっくりしないわけにはいかなかった。
「あいつはあまり詳しいことを話したがらぬものでな。心配されるのがイヤなのだろうが。おまえは何か聞いていないかね?」
「いえ・・・・・・オンはいつも優しそうにしてますよ、ボクにも、ペラップさんにも」
 ボクはオンがそんな物騒なことに関わっているなんて想像もできなかった。
「ふむ。まあ私としては、これが森の秩序であるからには、口出しもできん。出来ることはね、オンという雄(おとこ)を信頼することだけだねえ」
 コータスさんはまた後ろを振り返った。相変わらずだ。オンはまだ寝ているんだろうか? ボクはやはり心配になってきて、コータスさんに何かできることはないかと尋ねた。コータスさんに笑って止められても聞かなかった。
「やれやれ、あんたも雄にしてはやけ貞淑なものだね。オンの奴が気に入ったのもそんなところなんだろうかね?」
 そう言いながら、コータスさんは茂みの中から赤い木の実を持ってきた。
「チーゴという実でね。これをすりつぶして患部に塗れば治りが早くなる。確かにあいつは無理をしすぎではあったからねえ」
 と言いながら、コータスさんが笑いをこらえているように見えるのが、ボクにはよくわからないのだった。


 10

 オンはあまりのことに何が起こったのかよくわからないくらいだった。何か痛烈なしびれのようなものが突然体にほとばしって、気がつくとなぜか彼のことを仰向けに押し倒して、間近で見つめ合っているのである。オンはひどく混乱しているが、オン以上に彼が驚き困惑し戸惑っているようだった。二人とも顔を近づけたまま、なかなか言葉が出てこない。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「はははは、なかなか、これは、はははは、傑作なもんだ、ははははは」
 笑いながら茂みから姿を現したコータスは、呆然と固まっている二人のそばにのしのしと近寄る。
「想像以上のものが、見れた、ものだねえ、はははは!・・・・・・そんなものたっぷりと傷に塗り込めば、そりゃ悶えたくもなるに決まっとる」
 コータスはなおも二人の回りをぐるぐると歩き回りながらまくし立てている。
「しかしオン、お前の反応も天晴れであったぞ!・・・・・・お前の素早さはさすが、森随一だと聞いていたが、噂に違わずだあ・・・・・・」
 黙り込んでいる二人には一向構わず彼はしゃべり続ける。
「して、お前たちときたら!・・・・・・お前が白目になって跳び上がったのも素晴らしかったが、あんたが思わず腰を抜かしているところへ、のしかかってくるのもまた馬鹿馬鹿しくていいじゃないかね?・・・・・・ははは・・・・・・しかして、あんたたち、いつまでそうしているつもりかい?・・・・・・事が事なら私は退却せねばならないが・・・・・・ははっ」
 コータスの言うことは二人には全く聞こえていないのだった。状況を飲み込むのにはそれなりの時間が必要だった。コータスの低く野太い笑い声が、二人には得体のしれないものに聞こえ、余計に頭を混乱させた。
 やっと何が起こったのかに気がついたのはオンの方だった。何かを察したように思い切りのけぞると、地面に仰向けに倒れ込んだが、すぐに立ち上がり、きっとコータスをにらみつける。頬は真っ赤で、興奮の余り息が荒い。
「バカやろうっ! おまえの仕業か! よりにもよって! いたずらにも程度ってのがあるだろうが! 踏んだり蹴ったりさせやがって・・・・・・!」
 オンはやにわに腹の底から叫びを挙げた。その勢いで苛立ちが思わず彼の方にも向かってしまう。彼は初めてオンと出会った時に感じたのと同じ迫力を感じ、すっかり怯え上がってしまう。
「おまえもおまえで!・・・・・・ちょっとくらいは考えてほしかったな?!・・・・・・こんなのやけどに塗ったら痛いに決まってるよな?・・・・・・だろ?・・・・・・塗るなら塗るでせめてちょっとずつ塗るとかしてくれればなあ?!・・・・・・くそ、メチャクチャ腹がひりひりして!・・・・・・こんなんじゃ、おちおち飛べもしねえだろ!・・・・・・ああ、くそっ・・・・・・だいたいおまえが何なのかよく知らねえけど、この際言っとこうか・・・・・・くっそ!・・・・・・腹にクルなこれ・・・・・・言っとくぞ!・・・・・・この森じゃな!・・・・・・そんなナイーブじゃ!・・・・・・生きてけないんだからな!・・・・・・俺がいたからよかったもんを・・・・・・そうでなきゃお前なんかとっくに!・・・・・・」
 わめき散らしながら、ふらふらとオンは茂みに飛び込んで、姿を消してしまった。彼は腰を抜かしたまま、呆然としている。そんななか、コータスは何ら動じることなく、一連の場面を劇でも見るかのように、時に感心すらしながら眺めていたのだった。


 11

「まったく、まさに劇的だった!・・・・・・久々に面白いエンターテイメントだった! いやはや」と口にしながら、コータスさんは相変わらず笑っている。
 ボクはオンの怒りに気圧されて、すっかり縮こまってしまっている。それなのに、どうしてコータスさんはこんなに平然としていられるんだろう? ボクはよかれとばかり思ってオンにチーゴの実をすりつぶしてお腹に塗ってあげたのだけれど、こんなことになって、いったいどうすればいいのか必死に考えているところなのに。
「笑わないでくださいよ。オンがあんなに怒っちゃって、ボクどうすればいいんですか! このまま許してくれなかったらどうすればいいんですか」
 と言った途端、コータスさんはかえって大爆笑する。とても場違いなくらい、しかも屈託なく。
「私はあいつのことは知り尽くしているからね。こんなこと一度や二度じゃない。だいたい延々と同じことを繰り返してるのに、いちいち引っかかるあいつも悪いのでね。見てなさい、そのうち、恥ずかしそうな顔して帰ってくるから。いいね、恥ずかしそうな顔だからね!・・・・・・でなきゃ、私はこの山の火口に飛び込んでやったっていいくらいだ」
「あんまり物騒なこと言わないでくださいよ・・・・・・でも、どうしてそんなちょっかいなんて」
「森の温泉番ってのは、あまり楽しみがないもんでねえ。ペラップの奴が来りゃあ、あのタブレットってのを貸してもらえるからいいんだけれど・・・・・・外の世界ってのはなかなかに面白いんだよ。ああ、ちなみに私も昔は外でならしてたもんでね・・・・・・」
「だからって、なんでオンばっかり!」
 ボクにはコータスさんの物言いの軽々さが、ちょっと不愉快に聞こえたのだ。
「なに、これは信頼の証だよ、本人了承済みさ。ここは私を信じて、落ち着きなさい。夜明けまでに帰ってこなきゃ、私の首を食いちぎったって構わんよ」と平然と言い切るコータスさんに、ボクは言いしれないオーラのようなものを感じ取って、返す言葉も出ない。
「まあ、しばらく時間がかかるだろうからね、特にあいつの場合は!・・・・・・その間に、そうだ、近くにちょっとした洞穴があってね、そこを私がこう(と言って、コータスさんは山のようにつきだした甲羅から煙を噴き出してみせる)、踏ん張ってね、サウナってのをしてるんだけどね、ちょっと試してみないかい?・・・・・・」


 12

 オンは物陰にうずくまってもなお、混乱した気持ちを落ち着かせることができないでいる。怒りの気持ちはとっくに収まっていた。そもそも、怒りなんてものは一度大声を出せばたいてい飛んでいってしまうんだ、勢いの余り、彼に怒りをぶつけたのは失敗だったかもしれないと反省までしてるし・・・・・・というのはしかし、若干自分に嘘をついているかもしれない。
 そうではなく、コータスのいたずらのおかげで、思いもがけず彼を押し倒す姿勢になり、なかんづくあんなに彼と顔を近づけてしまったことがたまらなかった。あんな真正面から、顔を真っ赤にしてじっとこちらを見つめている彼を見て、オンの頭は真っ白になってしまった。腹に染みる痛さよりも、高鳴る心臓の方が危険だった。だからこそ自分を抑えるために当たり散らして、無我夢中でこんなところまでやってきてしまったのだ。それにしても、あの場を飛び出す瞬間にちらりと見たコータスの、すべてを見透かしたかに見える微笑みはなんとも腹立たしいのだった。相手の感情を見通すのは、俺の方が得意なはずなのに。
 オンにはうすうすわかり始めていた。今のこの感情を、最も容易く、手早く片付ける方法は一つしかないと。やはり、オンはそのことを認めるしかなかった。心のどこかでは、なんとしてでもそれを否定しなければとやっきになっていたのだが、言葉を取り繕えば取り繕うほどに、それを認めるほかになくなってしまう。けれども、オンはまだその結論を受け入れられずにいた。頭で導いた結論で、それが絶対的に正しいのだとしても、感情はそう容易には受け入れてはくれないのだ。
 オンは目をつむって、森から突き抜けたあの大樹のことを思い浮かべながら、自分はそれを目印に周りを飛び回っているのだと考えようとする。今朝のように、そうやって気持ちをなんとか押さえ込もうと、でもダメだ。やっぱり、俺はまだ嘘をつこうとしている。答えは分かりきっているのに、俺はその周りをぐずぐずしながら周回し続けている。無駄に飛び回るのはやめて、中心の、あの樹に向かって飛べばいいのだ、こんなわかりきったことはない。頭のそうよくない俺ですらたいして考える必要のない問題だった。でも、それができないのだから、俺は結局んところ、バカなんだろう。
 オンは目を開く、そして思う。
 そうだよ。目の前の大樹に向かえばいいんじゃないか。
 俺はさすがに笑ってしまう。こんなの笑わずにいられるかっての!


 13

「うむ。ほれ、やってきただろう? ほらほら」
 コータスは得意でたまらない表情を彼に向ける。
 コータスの言っていった通りに、オンが恥ずかしげな顔をして、サウナになった洞穴の中に入り込んできた。ぎこちない足取りでコータスの隣に来て、砂煙を立てながらあぐらをかいた。彼はオンが何か言い出すのを緊張しながら待っている。
 いきなり、オンがばかでかいため息を吐いた。顔をうつむけたまま、しばらくうんともすんともいわない。困惑する彼を尻目に、オンは瞑想でもしているかのように、しばらく屈んだ姿勢を変えようとしない。
 このどうしようもない空気を吹き飛ばしたのは例によってコータスなのだった。コータスはとても楽しげに言う。
「な?」
 その力強い「な?」という一言は、洞穴の雰囲気をいともたやすく変えることができた。気まずい空気の中にあって、コータスのとぼけた声の響きはまさに異物のようなもので、コータスがただ「な?」と発したそれだけのことで、特殊な反応が連鎖的に引き起こされていくかのようだった。
 ともかく、それでオンも彼も踏ん切りを付けることができそうだった。実はお互い、何を話せばいいのかわからなくなっていたのだ。彼はさっきのことをオンに謝ろうとしていたが、オンがあんなに黙り込んでいたために臆病になっていた。オンの場合は、単に話すことが何にも思い浮かんでこないだけだった。
「さっきのは軽率だったかな」
 彼はようやく口にする。
 オンは片っぽの翼で彼を背中から覆い、自分の方へ引き寄せる。彼が恥ずかしがるのも構わず、頬をすり寄せ、こすりつける。
「おまえは気が利くけど」
 オンは彼を間近に見つめ、不敵な笑みを浮かべる。
「もうちょっといい加減になった方がいいんだぜ?」
 まあ、さっきはちょっとカリカリしすぎてた、とオンはさりげなく彼に謝った。すると、彼もいよいよ恐縮して、互いに謝り合うことになりかけたから、コータスはすかさず会話に割り込んだ。
「んで、どこまで行っていたのかね、オン?」
「そう遠くでもないですよ・・・・・・ただその辺で冷たい空気を浴びてただけです。頭も、体もいったんクールダウンしないといけなかったし!」
 もちろん嘘だった。
「しかし、帰ってきたときになんで顔が火照っていたのだろうなあ」
「気のせいじゃないですか」
 オンは何食わぬ顔で即座に返事をした。
「大体、元はといえば、あんたが悪いんだろ! ここに来てから踏んだり蹴ったりだし。俺たち当分来なくなりますよ?」
「だがほとぼりが冷めればまたやってくるのだろう? これまでもそうだった。これからもそうに決まっとる、なあ?」
 オンは苦笑いする。コータスも合わせてにたにたと笑みを浮かべる。
「私からは、ただ掟はちゃんと守れ、それだけさ。温泉に汚い体で入るような愚は犯さぬように、とな」
 コータスが、少し温泉の湯加減を確かめるために、洞穴を出て行った。出かけ際に、甲羅から勢いよく大量に噴出させた煙が、辺りに充満する。彼は翼も足も尻尾も投げ出して、だらしない格好で地面に座り込んでいる。体中汗びっしょりだったが、べとついてはいなくて、まるで石の表面でも滑るように汗が垂れていくのだった。だからか、こんなに蒸し暑い空間なのに、彼の表情は涼しげにすら見える。
「おまえって、こういうの平気な方?」
「そうだなあ・・・・・・でも、冷たいのよりはこっちの方が好きだな」
「そっか。俺もどっちかといやあ暑い方が過ごしやすいんだよな」
「でも、ボクずっとここでオンのこと待ってたから。ちょっときつくなってきたかも? オンはもうしばらくここにいるの?」
 オンはつい首もとのぐっしょりと濡れた毛並みをいじくる。小さく束を爪でねじるだけで汗が絞り出されていく。
「ああ、うん。せっかくだからもうちょっといる」
「じゃあ、ボクもオンに合わせるよ」
「いいのか?」
「いいよ、まだ全然我慢できるし」
 彼は少し口をつぐんでから、ぽつりぽつりと話し始める。オンはあまり口を挟まずに聞いている。
「ここっていいところだね・・・・・・まさか、森の中にこんな場所があるなんて思いもしなかったよ・・・・・・本当に、ボクの想像をずっと超えてるや・・・・・・でも、この森にはまだまだボクの知らないことがたくさんあるんだろうなあ・・・・・・そんなこと、みんなオンやpさん、それにkさんが知っているって思うと、みんながすごくうらやましいや・・・・・・少しずつでいいから、ボクもこの森のことがわかるようになればいいって思う・・・・・・何より、ボクはオンと会うことができてよかった・・・・・・初めて会った時は怖かったけど・・・・・・でも、オンじゃなきゃ、たぶんボクはダメだったと思うんだ・・・・・・オンが言ったとおり、ボク一人だけじゃ、とてもこんな場所では生きていけなかったよ・・・・・・だから、たまたまオンと出くわして、それでこうしてお世話になることになったのも、不思議な巡り合わせだよね・・・・・・こんなこと話すのも、そういえばまだちゃんと言ってなかったような気がするからなんだ・・・・・・本当に、ありがとう、って」
 言い終えたのかどうかわからないところで彼は話を止め、照れ隠しのためにえへへと笑った。
「ごめんごめん。こんな暑い中でしゃべってたら、余計に暑くなっちゃう」
 オンはぼうっとしていた。体以上に、頭が熱かった。もうここにいつまでも座っていてはどうにかなりそうだ。オンは彼の頭にポンと手を置いてみる。
「そろそろ行こう。これで、いろいろすっきりしたろ?」
 彼は同意する。


 14

 雨が収まったからか、ペラップさんは洞窟にはいなかった。いつもとまっている木にもいなかった。出かけたんだろうか? それとも、もう寝てしまったんだろうか? 仕方ないから、ボクはオンの帰りを待っていることにする。
 オンは帰るついでに新鮮な木の実をいくつかとってくるっていうから、ボクだけでここまで帰ってきた。オンの住みかは森で一番の大木のそばだから、空からでも場所がわかりやすい。とはいえ、やっぱり森だから迷わないことはないのだけれど、ボクもここの暮らしに順応してきたのか、見当はつけられるようになってきた。しばらくのあいだは、オンはボクが一人で行動することを許してくれなかった。ボクはたしかに森、というか野生の世界にはうとかったし、森の掟を体得するにも結構手間取った。でも、今日オンがボクをあの山の温泉まで連れて行ってくれたということは、ボクは少しずつではあるけれど、森の世界の仲間として認められつつあるってことなんだろうか。
 初めてオンと会ったとき(でもあの時は遭遇したと言ったほうがいいかもしれない)の態度に比べたら、ものすごい進展だ。あれからそれほど日が経っていないというのが、ボクはなんだか納得できない。オンは、ボクを本当に殺さんばかりの剣幕だった。たしかにオンの縄張りに勝手に踏み込んだのはボクで、この森の秩序に無頓着すぎたのだから、そうなるのは当然のことだったんだろうとは思うんだけど。
 けれどあのときのボクは、あんなに脅されてからも、この木に近寄るのをやめなかった。何せ、ボクは奇跡的にこの場所に行き着いたからで、ここを見捨てて、不慣れな森の中をさまよって食料を探すなんていうことは考えられなかったのだ。オンの一撃をくらって、根元でぐったりとしながらもボクは、あいつが見張りに来ないときにこっそり盗み食いすればいいくらいに考えていた。どうやらあいつは夜に木の実を食べに来るのだろうと、そのときボクは推測していた。だから明るいうちに木の実をいくつかいただき、あいつがやってきそうなときには、見つからないように物陰に潜んでいようと。
 ボクの考えがとても安易だということは、すぐに明らかになった。そのときは絶対にうまくいくだろうと思っていたけど、オンのあの頭より大きい耳の力を侮っていた。夜、再び木の様子を確かめに来たオンは、鋭敏な聴覚と超音波の力で、ボクの存在をあっさりと見抜いてしまったのだ。
 茂みをかき分けたオンと目が合ったそのとき、ボクは死を確信した。とにかく動揺していた。たぶん、突然の死というのはこういう風に、理解するよりも前にやってくるものなんだろう。ボクは仰向けに抑えつけられた。オンの鋭い爪が喉もとに突きつけられていた。闇の中に黄色く光る目つきが、ぞっとするほど冷たかったのを覚えている。
 こう振り返ると、ボクは今でも次のように考えないわけにはいかない。どうして、オンはあのときボクを殺してしまわなかったのだろう? そうでなくとも、懲りずに二度も縄張りを荒らした部外者をなぜオンは排除しなかったのだろう? どうしてボクだけは特別だったのだろう?
 オンはみんなが言うとおり、いいヒトだとは思う。もうボクをあの冷たい目つきでにらみつけることもない。でも、オンが本当は優しい性格の持ち主だということがわかりきってからも、その理由を尋ねることはできない。さっきの、コータスさんの用意したサウナの中でも、無理だった。この質問は、ボクに本能的な警戒心を働かせる。何か、取り返しの付かなくなりそうな何か、がそこにありそうな。


 15

 オンは縄張りの見張りをしつつ木の実を集めて回っている途中、喉を潤すために池に立ち寄ると、そこに偶然ペラップがいた。
タブレットの電源が切れてしまってね。雨も収まったことだし、ちょっとピカチュウに充電してもらったところだよ」
 というのだった。
「でも、あいつもうとっくに寝てたんじゃないのか?」
「なに、もう何度も経験済みだ、それに」
 ペラップは翼を指のように立ててみせる。
「これも契約のうちだしな、仕方あるまいさ」
「物騒な言い方するな」
「お前に言えたことじゃないだろうが?」
 ペラップは空いた方の翼をピンと前に突き立てた。
「何らかの見返りと引き替えに、縄張りでの自由を認める、それが決まりだろう? たとえば、私と彼女の場合。オンの縄張りの木の実は自由にとっていいが、その代わりに私のこのタブレットを充電してもらう、といった取り決めだ。そもそも、私とお前の関係だって、ギブアンドテイクに過ぎないじゃないか」
 ペラップは意味もなくタブレットの電源をつけ、翼で画面を大事そうにさする。
「このタブレットがなくなれば、私はお前にとって用済み、契約上はそういうことになっている。私が役立たずになれば、煮るも焼くも丸呑みするも全部お前の自由」
「おいおい。きなくさいぞ」
 と言って、オンは水面に顔を突っ込んだ。激しく水しぶきを立てながら水を飲むオンを、ペラップは凝視している。視線がずっとオンから逸れることがない。
 やっとオンは水を飲み終えた。さっきの話などまるで聞いていなかったかのような様子で、タオルを貸してくれと頼んだが、すげなく断られた。
「じゃあ、これからメシ食べに来るか?」
 と柄にもない提案をオンはする。
「とぼけたことを言ってどうする。私はこれから寝に行くんだ」
 ペラップは呆れる。
「あっ、そっか。はっはっは・・・・・・じゃ、俺は急いで帰」
「あの子のところへか?」
 ペラップの表情は険しかった。いぶかしそうな様子がイヤなほど感じられる。
「え? まあ、そうだけどな」
 オンはあることを察していた。今の話をしたからには、当然踏み込まなければならないことを話してしまったと感じた。しかし、それこそなるべく避けて通りたい問題だった。
「私は、お前のことを信用しているから、信用してるんだからな、これでも?・・・・・・そう、信用しているから、忠告する。お前は、いつまでもあの子をあんな風にさせておくつもりなのか?」
「いや、それはまだ考え中だって言っ」
「この間も同じ答えだった。その前もまた同じだ。ずっとだ。本来であれば、答えはとっくのとうに出していなければならないはずだろう。いいか、これはあの子に関わる問題ではなくなっている。お前の主としての威厳の問題なんだぞ、もはや。もし、あの子がえこひいきされてるってのを、他の連中が知ったらどうなる! 森の掟に、例外があってはいかんだろうが?!」
 何かを言い返したかったが、言えなかった。そもそも、反論すべきことなどどこにも見つけるわけがなかった。オンはそのことについて考えようとしながら、ほとんど考えたことなどなかったのだ。
「こんなこと言って悪いとは思う。だが! お前は自分の立場をちゃんと理解するべきだ。決めるんなら一刻も早く決めろ。私とお前が結んだのと同じような取り決めを一刻も早く作れ、言いたかったのはそういうことだ」
 ペラップはオンから目を離し、タブレットを操作しはじめる。
「明日は一日中晴れだ、降水確率は0パーセント、ということだ。じゃあな」
 ペラップはお気に入りのそれを脇に抱えながら、茂みの中に姿を消した。
 オンはペラップの気配が辺りから消え去るまでずっと耳を澄ませていた。水を飲んだばかりなのに、急に喉が渇いてきて、また水辺に頭を突っ込んだ。
 彼のことが頭に浮かんだ。とにかく、住みかに帰らないと何も始まらないとオンは思った。一方で、ペラップについに面と向かって言われてしまった忠告が心に重くのしかかる。オンは必死に一つの結論にたどり着くために考えようとするが、やはりうまく考えることができない。ああ、クソっ。妙に首もとがくすぐったい。いっそのこと、首元の毛をかきむしってしまいたくなる。


 16

 物思いにふけりながら、彼のもとに戻ってくると、彼はたき火のそばに腰をおろして、オンの帰りをずっと待っていたらしい。ペラップが置いていった小さなライターを点火するのに手間取ったようで、ほんの少し火に触れてしまった指を気にしていた。
 けれど、たき火の燃える洞窟は、帰ってきたばかりのオンにはちょっと暑い。コータスのサウナほどではないけれど、火のそばに近寄ると、まだやけどが治らないお腹がひりつくのだ。オンはありがとうと言いながらも、たき火から微妙に距離をとった。
「さっき、池のところであいつに会ったんだ」
 と、オンは先ほどのことを彼に話したが、詰問されたことには一切触れなかった。ペラップの奴も実は行きたがってたとか、コータスのところに行くときは三人で行ければいいなあとか、勝手にほのぼのとした話に仕立てた。彼はオンの嘘にも気づかないでか、屈託のない笑みでうなずく。
 オンはそれから、ペラップコータスの関係についてしゃべり出した。二人はオンがここにやってくる以前からの知り合いだということ、しかも外の世界で生きていた頃から互いを知っていたらしいということ、ペラップは寒いところの、コータスは暖かいところの出身だということ、その寒いところも暖かいところも、この森からは遙か遠いところにあるらしいということ。とはいえ、オンが話して聞かせられるほど知っていることはほんのわずかで、大半は推測混じりで、不確かなことだらけだった。
 オンは何をしゃべっているのかわかっておらず、むしろしゃべっている自分が一番どうでもよくなっている。けれどしゃべり続けているのは、彼と一緒にいる限りは黙っていることができないと感じるからであり、何より話さなければならないことを切り出す勇気なかなか湧かないからだった。
 いよいよ話すことがなくなってきて、オンはしどろもどろになってきた。彼は退屈な素振りこそ見せようとしないが、あまりに話題が飛び飛びになるので、思わず首を何度もかしげているように思えて、焦ってくる。
 オンはまたしても気まぐれを思いついた。恥ずかし紛れに、唐突に話を切り上げると、「そういえば、こんな歌って聞いたことあったっけな? 外の世界で流行ってるっていうんだけど」
 オンが口ずさみ始めたのは、この間ペラップに教えてもらった曲だった。その日は気分がよかったのか、ペラップはオンの前で歌って見せまでした。ペラップの歌声はさすがにきれいだった。外にいた頃も、この声でなかなかちやほやされたりもしたんだと、柄にもない自慢までするほどだった。ペラップは歌詞までヒトらしく悠々と歌い上げていたが、オンにはそこまでは真似できず、言葉はあやふやだ。とはいえ、歌は得意な方ではあった。音の感覚には誰よりも自信を持っているだけに、音程は完璧だ。少し荒々しいところはあるが、腹から響く味わい深い声で。
 歌い終わると、オンは彼に感想を迫る。無理にでも何かを言わそうとする。
「なんだろう・・・・・・なんだかどこかで聞いたような感じもするな。でも、どうだろう・・・・・・わからないや。でも。でも、いい曲だと思う。気分が楽しくなってくるや。ねえ、もう一度歌ってみてよ」
 言われた通り、オンはもう一度、その曲をリピートした。どんな歌かは言葉の問題があって、はっきりしないけれど、ペラップが話していたことをまとめれば、恋の歌だ。ざっくばらんに言えば、俺はお前が好きだ、ってわけ。内容としては少々甘ったるいが、かえって素朴で率直なのがいいんだとか。
 それに思い当たると、オンは急にこっぱずかしくなってくる。まったく、本題に入るどころか、歌なんか歌って、俺はとんでもないことをしてるような気がする。恋の歌なんて。でも彼がそんなことに気づくはずもないか。安心すべきか落胆すべきかわからなかった。
 こんなことを続けていても、どうしようもないことがオンには次第にわかってきた。いっそ話を切り出すか、投げ出してしまうかした方がよかった。それで、オンは自棄になって、投げ出す方を選ぶのだった。
「そろそろメシの用意をしなきゃな!」
 と、オンは岩の出っ張りから飛び降りて、木の実の用意をする。さっき拾ってきたものをいくつか地べたに並べると、残りは片隅に置いてある、大きな石を組み合わせて作った倉庫に隠しておく。木の実はそこそこ保存がきくから、日々とってきたものを少しずつため込んで置けば、嵐などで洞窟から出られないときに困らない。扉がわりの石をどかすと、そこそこ木の実が収まっている。オンは新しい木の実を入れる代わりに、古くなった木の実をいくつか取り出した。保存用の木の実も、少しずつ中身を入れ替えておかなければ腐ってしまう。
 オンはまた扉の石を閉じようとした。が、もう一度倉庫の奥まで手を伸ばし、しばらく中身をまさぐった。苦労してそれを取り出したら、オンは何気なく、それを他の木の実に紛れ込ませて、彼のもとへ持って行った。
 差し向かいで夜更けの食事をとりながら、オンはなおもうじうじしていた。こんなものは一言、勇気を出して、吹っ切れて口にしてしまえば済むことなのはまったくたしかだった。ただちょっと二人で真剣に話し合えばいい、何も深刻なことはないはずで。俺は、そりゃ未熟かもしんないけど、責任とか義務ってもんがあるんだし、だけど、なのに。
 何かを察知したのか、彼は首をかしげる
「どうしたの? なんだか、思わしげな顔してる」
 彼の柔和な顔つきにはっとさせられて、オンは不意を突かれたように思った。けれど何気ない振りをして、彼の疑問を打ち消した。
「いや、いや、今日はドタバタあったから、疲れてぼうっとしてんだろ。ったく、温泉浸かって疲れが溜まるってんだから、なんのための温泉だったんだろうな!」
「森の掟に例外があっては、ならんだろう!」
 と戒めるペラップの声がこだましてくる。それも、ずいぶんとしつこく、耳に粘り着くようだった。
「でも、お前にあそこ教えられてよかったよ。できれば、次は普通に入りたいけどな」
「こんなこと言って悪いとは思うが! お前は自分の立場をちゃんと理解するべきだ」
 オンはさりげなく、それを彼の手元に寄せる。彼の目線をしっかりと自分に引きつけるために、しゃべるためにしゃべり続けながら。
「あの山にはさ、温泉だけじゃないんだぜ、立派な主ってのがいてさ、でも主っつったって怖い存在じゃないんだ。まあ、山を大事にしないような奴は、もちろん例外なんだけど。そのうち、会うこともあるかもしれないな。どっちにしろ、会わせなきゃいけないと俺も思ってるし」
「決めるんなら一刻も早く決めろ。私とお前が結んだのと同じような取り決めを一刻も早く作れ」
「そうだね。そうしなきゃ」
 彼はうなずく。そして、目の前にあるそれを掴んで、口に運んだ。
「近いうちに、コータスさんに案内してもらうかな。コータスさんはさ、あんなおとぼけに見えても、たいそうな身分なんだぜ? 山の主からも信頼されてるし。森の連中からも一目置かれた存在でさ。温泉の番人ってのも案外バカにできないんだよなあ。あれ?・・・・・・これってもう話したっけ?」
 オンはじっと彼の表情を観察する。
「いや、初めてだよ。ただ、コータスさんって、ちょっとボクは苦手かもしれない」
「かもしれないなあ。俺以上にお調子もんなトコあるし。いや、でもあれはコータスさんなりの歓迎でさ。まじめにやるのがどうしても耐えられないから、ついあんなイタズラしちゃうんだよな。時々、ひどいこともするけどさ。でも、まあ、お前のことは気に入ってくれたと思うよ。少なくとも、俺以上にはね」
「ボクも、コータスさんのこと、わかっていければいいんだけど」
 彼はつぶやいた。
 やがて、彼は大きなあくびを漏らし、両翼を大きく広げながら伸びをした。
「オン、眠くない?」
「俺はまだ大丈夫かな」
「そっか。ボクはそろそろ寝ようかな? なんだか、急に疲れが出て来ちゃって」
 彼は苦笑いを浮かべる。
「じゃ、おやすみ、オン」
「ああ、おやすみ」
 オンは微笑む。
 洞窟の寝床で、彼は死んだように眠る。オンは誰よりもそのことをよく知っていた。むしろ、よく知りすぎている。オンは、彼があとどのくらいの時間が経てば起きるのかを知っている。そしてそれまでは、たとえ何があろうとも彼が目覚めないということも知っている。まるで都合良く時間が止まったかのように、彼が眠り続けることすら、オンはあらかじめ知っていた。
「言いたかったのはそういうことだ!」
 とペラップが言い放つ。余韻が、いつまでもオンの頭に響き、べっとりと脳裏に残る。