ポケモン小説スクエア「覆面作家企画10」感想

 https://pokemon.sorakaze.info/info/event/mask/10/

 改めて閲覧注意と書いておく。
 wikiの大会とは違って順位を決めるものではないということに留意はしつつ、思ったままに書いた、のだが、二次創作は何よりも先にファン同士の「交流」である。長文の感想というか批評めいたものは、本来はふさわしいものではないよなー……と思いつつ、31作もある二次創作を読むのは楽しいことだったし、ポケモン小説って本当自由度高いよなあ、と触発されたりもしたのである。
 本当に率直に感想ともレビューとも批評ともつかないものになっていた。TLで読了コメしたときのものとは、微妙に言ってるとこ変わってるのでは? という点はご愛嬌。
 繰り返すが、改めて、改めて閲覧注意。

 以下ガッツリとした感想。企画ページの上から順に掲載。


『鉄を編む』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2745/

 タイトルの元ネタは三浦しをんの『舟を編む』だろうか。無骨な刀剣職人の老人のキャラが渋い。老人に求められ、憧れられるイメージというのはきっとこういうものでしょう。彼の行動に合わせて住人が時計を合わせるといういかにもカントの逸話を思わせるほど秩序だった時間を乱しにくるココドラ。その可愛らしさが彼らにとっても、小説的にもいいアクセントとして働いている。完璧に鋳造されたかに見えたナイフを、ココドラに食わせる。ココドラがポリポリと食う。そして、老職人が弟子である青年にバトンを渡す。ここに至るまでの書き方に艶が感じられます。全体的に描写は丁寧で写実的ではありますが、やはり最後の持って行き方が印象的でしたね。


『キミらが描いたstarlog(モノガタリ)』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2744/

 小説としては非常に癖が強い。まあ、小説って他の媒体よりも癖が強いとは思うのですが。筋としては、ほとんど孤絶した砂漠に暮らすネイティが、魂を抜かれた親友のマラカッチを助けるために、謎の石版(デスバーン)に追いかけられながら異世界を巡る話、なんですが、ディテールはいずれも難解。ぼんやりと想像はつくものの、それが何であるかは、彼らにもきっとわからないように、読者にもわからない。
 そんなシュールな展開の最後に割られるくす玉には「ポケモン小説スクエア覆面企画10周年おめでとう!」と書かれていて、もしやこれまでの企画の歩みを寓意したメタ小説、として読むべきなのだろうか? ただ、これはスクエアの作品に疎い自分には理解しきれなかった、すみません!


『1日10枚、10日で100枚、夏を数えて300枚』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2743/

 wiki勢からするとカルチャーショックを受ける作品。何せ、ポケモン色は限りなく薄い小説だから。
 夏休みの部活の課題に明け暮れる美術部員の篠田も、ひょんなことから一緒に課題をこなすことになった椛にも手持ちポケモンはいない。ポケモンたちは徹頭徹尾野生の存在(現実世界における蝉や雀のように)であるかと思いきや、夏祭りの射的台では普通にバシャーモが遊んでいる、しかしながらイワークのような危険な存在がわりと身近にいたりする。こういうポケモン世界の描写はwikiではあんまし見られないので新鮮である。
 逆に言えば、普通の青春小説にポケモン要素を微かに足しただけ、とも感じる読み手はいるだろう。けどむしろ、その空気感こそがかえってリアルなのかもしれない。ポケモンがいる世界ってのはけっこうこんな風なのかもしれない。
 最後に椛が引っ越していくというオチはちょっと安易ではある。篠田くんはいいとして、顧問の古澤先生がそのことを知らない、というのも若干不自然か。


『はるかな時を駆け抜けて』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2742/

 古代の化石をどのようにしてポケモンとして復元しているのか、というのはポケモン世界における謎の一つであるし、これは考察系二次創作的には格好の対照である(僭越だが、化石ポケ推しを名乗っているわりに、この辺りの深掘りは不得手である。自作の『關東パキモン猟奇譚』でも思いっきりその問題はスルーしているし)。だから、既存のポケモンの遺伝子情報を組み合わせて、いわばキメラ的に復元をする、というのは化石ポケへの一解釈としてなるほど、と思った。
 こういう解釈が出たのはやはりガラルの化石ポケモンたちの影響が大きいのだろう(あのような生物が古代に本当にいたのかは、たぶんポケモンファンでも意見が二分すると思う)。現に、古生学の研究が進めば進むほど、化石から得られるイメージは変わってくるし、そうしたものを復元しようとするこういとは、どういうことか。あとは、「チーゴ+ヨーギラスチゴラス」という発想の魅力によるものか。
 ポケ字書きにとって、というか散々プテラカブトプスにNSFWな感情ぶつけてる自分にとっては改めて難題を突きつけられた格好。


『10歳の記録』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2741/

 こちらも化石ポケモンが小説中重要な役割を持っている。障害という挫折感から内に籠った少年を、博士やらクラスメイトの女子が強引に引きずりだすという痛快な話。少年の言動の攻撃性は、わかりやすいくらいにコンプレックスの裏返しである。それをこじ開けるのが、清々しいほどの純粋さというのも定番だ。結果的に少年を堕とすことになったのは、博士が見せた義足であるが。可能性を開くのも閉じるのも、結局は自分の意志である、というストレートなメッセージである。
 ついでに言うと、カブトプスガチゴラスが住んでる森なんて……天国じゃないですか、思わずFワードが出ちゃうよ! ごめんよ僕はwiki勢です。


『10年後の春』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2740/

 2011年と2021年(あるいは延長された2020年ともいう)を地元神のスイクンがある場所から達観した視線で見つめる。そこには、現在進行形の事象に対する静かな憤りと祈りがある。けれども実を言うと、TLの方では感想コメを控えた作品だったりする。ちょっと二次創作として語るには、生々しいという理由からであった。
 なんというか、そういうテーマを取り扱うと小説そのものより、とある問題に対して何らかの意見を表明しないといけなくなるというのはちょっと辛いのである。変な言い方をしてしまえば、自分の意見をスイクンや他のポケモンたちに代弁させただけじゃないかと思ってしまう。
 あくまでもポケモン好きという共通項で集まっているコミュニティだと、この手の主題を取り扱った小説を語るのは非常に難しいな……と感じてしまう、まあ個人の感想です、申し訳ない!


『ポケモノイド』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2739/

 ポケモンの代替物としての「ポケモノイド」がすっかり普及した未来世界をスケッチしたディストピアもの。
 気になったのは冥子(それにしても、どうして冥子という名前なんだろうか?)という語り手のこと。「ポケモノイド」政策が推進された10年前にはトレーナーとして旅をしていたと語られているが、今では死の床にあるらしい。「旅を始めてまだ2年」とあるから、決して年老いているわけではないだろう。別に彼女が老齢であることも文中では示唆されてはいない。けれども、病気の理由については一切説明がされない。どこか不穏なバックストーリーを連想させる設定ではある。
 何の疑問もなく「ポケモノイド」を受け入れている人間社会を、どこか他人事として冷淡に捉えながらも、彼女は病床でポケモノイドたちに感謝の言葉を述べる。「私を看取るのが、本物の心があるあの子たちじゃかわいそうだもの」。その言葉から、「紛い物」のキルリアは彼女の安堵を読み取る。この倒錯した構図の微妙さ、完全に世界を受け入れているわけではないが適応し服従さえしている冥子のあり方は、いかにもディストピア的なメリーバッドを思わせる。それを受け取るキルリアの能力だって、信用できたものではないからである。


『10,000文字の定限』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2738/

 ところで覆面小説企画の上限って、むかしから「15,000字」だったのだろうか? それを知らなかったことそのものが小説のオチとして使われているわけで、もしそうなら作者特定のヒントにできそうなんだけれど……
 文字数で遊んでいる小説。小説とは、文字数次第でいくらでも時間を引き延ばしたり、逆に一瞬のうちに凝縮してしまうことができる媒体であり、それを存分に活かしたネタである(短編だとなおさらそれが効くのである、『邯鄲の夢』みたいに)。ただ、今作の企みがわかるまでがちょっと冗長だったと思う。まあ、意図的に冗長に書かれた文章なのは重々承知なのだが、今回テーマが「10」だったこともあり、10歳になったらトレーナーとして旅にでる、という原作の設定を使った話がわりかし多くて、これを読んだ段階で「またか」と、少々食傷気味になっていたのであった。読んだ順番が悪かった。お願い許して!
 しかしネタがわかってしまえば、あとはもう勢いだ。書き手が何とか期限に間に合わせ、字数を上限に納めようと虚しく奮闘するさまが面白い。挙げ句の果てに、「し!」『ぜ!』「た!」『ヒ!』……である。それでも、書かれている場面は、普通に書いた時と変わらない、というのが小説を書いたり読んだりする醍醐味だと思います。
 まあ、それでも「俺」くん。この話、15,000字でも到底収まらないと思うぞ。こんな感じの話を書こうとして失踪したポケ字書き、ごまんといるってことは小説wikiの過去ログ漁ればいくらでも実例が見つかるのである。


マサラタウンにさよなら』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2736/

 オーキド博士は1996年の段階でポケモンは150種しかいない、と言った。今はその設定どうなってるかは知らないが、愚直にその設定を合理的に説明しようとしたら……というユニークさがある。その解決策として持ち出されるのが、サトシの父親。アニポケ開始から四半世紀近くなる現在にあっても、明らかにされていない謎の存在である。こういうアニメ原作を超訳したような発想も、wikiではあんまし見られない話だったので楽しかった。
 このオーキド博士なら、バッフロンのことをアフロの生えたケンタロス呼ばわりはしないだろう、たぶん。


『清楚なシーちゃんとヘタレオンくん』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2724/

 自分もインテレオンでいま小説書いてるとこなんですが、こういうかわいいヘタレ系書く思い切りはないので羨ましいところ……
 内容としてはインテレオン♂×サーナイト♀の甘酸っぱいラブコメ的なスケッチ。いわゆる両片想いの関係性である。とはいえ、小説としてはそこでオチているから、これ以上語りようがない、というのが素直な感想である。マンガであればインエス辺りで日夜量産されているタイプの話であるだけに、掌編でまとめるからには、強烈な毒後感が欲しいと思った(「毒」は誤字ではありません)。


『うちゅうせんにのって』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2723/

 タイトルから『Among us』ネタかと思った。違った。
 いつか宇宙飛行士になってトクサネのロケットで星外へ飛び立つんだ……という大志を抱いた少年の夢オチである。夢の最後で見る、レックウザデオキシスが宇宙を翔ける瞬間を目撃したところで、夢が終わって……ということだが、小説としては、そこから先を読みたいなー、と感じた。天丼だが、強烈な毒後感。


『起源』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2716/

 ポケダン世界における一幕。探検家協会創立100周年兼とある探検家ギルド設立10周年の催しの一場面を切り取った掌編である。冒頭の大広間を埋め尽くすギルド構成員たちの描き方が楽しい。ところどころでポケダンの原作を彷彿とさせる配役がなされていたり、ごちゃごちゃ感の丁寧な描写とも相まって、この辺り二次創作として余念がなくて好感が持てます。
 そして理事であるジジーロンの挨拶も興味深い。ちなみにポケダンは完全新作としては2015年の『超ダン』が最後だから、『SM』初出のジジーロンポケダンシリーズに出演していないのであるが、キャラクターとしていかにもいそうだという説得力と魅力を感じる。ポケダン世界における探検隊と救助隊の理念と価値観、「他のポケモンを思いやること」。ポケダン二次創作としても軽やかな変化球とお見受けした。


『11→1』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2714/

 ポケモンが10種類しかいない、という世界を想定して話を進めるというのがいかにもナンセンスな切り出し方。そのセレクトにしても半分がケムッソ系統と、そして場違いなマッシブーンと完全にギャグに全振りしているわけであるが、そこに実は、幻のポケモンがいるらしいという話になり……?
 この小説の肝は、やはりこの語り手の存在だろう。地の文を担当しながら終始登場人物たちの行動にツッコミを入れ続ける。読み手は、そこに笑ったりモヤっとしながら、次第に一体こいつは誰なんだ? と考え始めるように仕向けている。すると、ちょうどいいタイミングで、このポケモンが10種類しかいない世界の経緯が語り始められ……事前にガレキの描写が強調されていて想像するのは容易だけれど、ポストアポカリプスもの、という種明かし。そして、この語り手は「一から十までを全部見ていて、滅ぼされちゃったりした全て」と明かされる、要は全知の語り手である。
 ところで、ソイチはエースバーン、エルバはチルタリスのようなのだが、オンセが何のポケモンなのか特定することができなかった。特徴に繋がる描写がメガネしかないと、ちょっと直感するのは難しい。


『てんとう様』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2713/

 学校の怪談的な、けれどその言葉だけじゃ洒落にならない的な、ゾッとする短編である。
 「てんとう」ということでキーになるのはテントウムシ。いまのポケモンだと、それに当てはまるのはレディバ系統に加え、サッチムシ系統がいる。こういう話だとついエスパータイプのつくイオルブを想定したくなるものだが、そこは丁寧に「むし・ひこう」タイプらしいということで外堀が埋められている。
 この話の肝は、IQ10か? と思うような主人公のクロエくんの残念っぷりである(失礼)。「テストでギリギリ2ケタ」と自嘲すらなく言い切ってしまうし、かわらずの石のことや、相棒にしているキモリ系統の進化の理屈すら知らない(そういえば「#ポケモンと生活」のネタで、かわらずの石をことあるごとに捨てようとするジュプトル、というネタがあったがもしやそれが元ネタだろうか)という体たらく。
 そんな少年の徹底的な無邪気さというか無知が、恐ろしい結末を導いてしまうことになる。因果応報、自業自得って言ってしまったらそれまでだし可哀想ではあるけれど、そこいらのアリを捕まえて水の張ったバケツに溺れさせたりとか、田んぼの蛙ひっ捕えて人体実験ごっことか、子どもってありふれて残酷だ。


『勇者ワンパチは1足りない』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2712/

 お題の使い方では今企画一番ではないかと思っている。計算されているし、理屈にも無理がない。
 シリアス風味ながらも、大魔王イオルブと勇者ワンパチという取り合わせで笑ってしまう、この脱力感。隅々まで「10」というテーマをこねくり回した会話に、「以下」と「未満」の使い分けにうるさい大魔王イオルブ氏、IQ10(愛・宮殿)、と短文の中にネタが詰め込まれているし、どれもしっかり考えてギャグに突っ走ってるという感じがする。
 磔にされて、石を投げられているイオルブくんが性癖……げふん、さて、そんな二匹を結びつけることになるのが数式「8−3+5=10」である。このおかげでIQが1上がった(?)ワンパチくんは迫害されるイオルブくんを救い出して、「ここに僕たちの畑を作ろう」と言うが、すごく小粋! 「我々の畑を耕さねばならない」という『カンディード』の有名なくだりをもじったもの(だと思ったんですがどうでしょう)だし、元となったセリフも小難しい議論捏ねくり回してないで、手を動かしましょくらいのニュアンス(超訳)だからピッタリなイメージではないかと。幸福になりたいって思うなら、ウジウジ考える前に、目の前の日常を生きよ、ってヤツである。
 そして、ワン(1)パチ(8)にイ(1)オ(0)ルブを足して、10で、二匹が寄り添い合う結末も素敵の一言。「早よくっつけ……くっつけ…… ©︎水のミドリ」と囃し立てたくなるもんです。


フーパとみっつのお願い』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2711/

 ランプの魔神よろしく三つの願いを叶えてやろうというフーパに対するのは、どうやら犯罪スレスレの悪どい商売をしているらしい男。当然三つだけでは足りないからと悪知恵を働かすが、そう簡単には事が運ばない、その事の運ばなさがこの短編の一番の読みどころだと思った。何しろ前任者がそれこそ無数にいたせいで、文書化するのにフーパの力をもってしても三日かかるだけの条文が存在しているし、その契約の網を掻い潜ろうとしても、結局は前例があるからダメ、ということになる。じゃあ、どうするか?
 最後のオチはゾロアークのイリュージョンを使って、フーパは死んだと戒めの壺に誤認させて、フーパを解放させ、それを口実に無限の願いを約束させるというもの。けれど正直、自分は「やられた」ではなくて、「この発想はあった」だった。書き手視点から見ればゾロアークのイリュージョンは、メタモンのへんしん級に便利なものだし、あれだけの判例の山が描写された以上、これやろうとした人間は確実にいただろう……というのが率直な感想であった。今作の前に『きらきら』を読んでゾロアーク耐性がついていた自分サイドが悪いかもしれない。難しいところ。


ポケモンがトレーナーさんに約束してもらいたい10のこと』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2710/

 元ネタは「犬の十戒」という詩の形で流布している文書らしい(ミドリさんの感想コメで知った)。これをギラティナが石碑に刻み込んだところから話が始まるのだが、ここに至るまでに、ギラティナが少しずつ人間世界やその概念を理解していく姿はとても魅力的。彼としてはちょっとそこまでという軽い気持ちでいた時間が、人間にとっては何世代にも相当するという衝撃に見舞われ、嘆きの果てに創世神と対峙する展開はドラマチックでもあります。
 ただ、正直この十戒と小説の内容はあまりリンクしていない。人間との営みを知ったギラティナが、その体験からポケモンと人間の関係を斟酌して書き記した、と解釈するべきなのだろうが、「カゲトモ」ことギラティナと、始めて会ったチトセはじめその家族たちとの関係は決して人間とペットのそれではないだろう。小説中で、「カゲトモ」が人間と不和に陥ったり、そのために折檻を受けたりする描写はなく、その関係は十戒から想起されるものよりもずっと対等に思えるし、ギラティナ自身もそう考えていたのではないだろうか。十戒の内容に沿うなら、ギラティナ自身の経験よりも見聞を基にした方が幾分かはすっきりしたように思う。テーマと小説の内容がうまく噛み合ってないところはとても惜しかった。


『われら都会調査団トビラ組!』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2709/

 頭脳派のニャオニクス、空中飛行はお手のものなアオガラス、そして主人公適正MAXのヒバニー、ついでにそれを陰から見守る姉さんのエースバーンと合わせて、魅力的な児童文学の雰囲気をしっかりと漂わせつつ、読み切り短編としてもきっちりとまとめ上げていて楽しいお話でした。やはりこういう時のヒバニー系統は強いし、ズルいよなあ。それだけでだいぶ話が引き締まるし。
 けれど、決してキャラに頼ることなく、迷子のイーブイを飼い主の元に返してやるためにヒバニーがアクロバティックな奮闘をする場面はスリリングに読めたし、何とか飼い主の男の子が乗る車に追いついたら、今度はどう言葉の通じない人間相手にイーブイのことを伝えるかと言った、こうしたプロットの展開、伏線の張り方も丁寧。兎に角キャラ設定からプロットの練り方まで、よく考えられているなあと思いました。シリーズ化に期待したくなりますね!


『ありがとう』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2694/

 ポケダンシリーズのEDのその後をテーマにした掌編。本編だと、わりかし消えた主人公はすぐパートナーのもとへ戻ってくるのだが、今作では別れてから10年後という設定になっている。このシチュエーションはあまり見ないものだし、とても良いっすね。すっかり大人じみて、コーヒーを飲みながら、諦念を漂わせるパートナー(今作だとイーブイですが)の姿にペーソスが感じられます。やもめって魅力的なんです(?)。
 そんな彼の元に起きるささやかな奇跡。あの時言えなかったことを夢の中で言うと、消えたはずの「あいつ」からの手紙が届く。こういう終わり方すごく好きです。本編のEDとかでも採用してみて欲しいくらい。


『この星の中心と一つになりたくて』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2695/

 10歳の誕生日を迎える少年と、その相棒のガーメイル。ただ最近は無闇に野生のミツハニーを襲うようになってちょっと困っている……そんな背景のもと描かれるハクタイの町のノスタルジックな風景が効いてます。
 読みどころは2章でしょう。会話文が挿入されないために、ここだけ改行の少ない文章が数ページにわたって続いて初見はあっとさせられるのだけれど、その文の重さに見合うだけの魅力があると思います。人間とポケモンが調和して営みを続けていく町の様子がありありと伝わってきますね。冒頭の雲についての少年の省察が、こうした細かなモチーフを通して、大きなテーマであり、テンガン山に象徴される「衝突からの調和」へと繋がっていくのが読んでいてとても気持ちいい。少年とガーメイルガーメイルミツハニー、それにレトロとモダンが調和するハクタイという町、こうしたものが小説的に必然性をもって配置されていることがよく理解されました。


『ひかるポケモンを追い求めて』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2696/

 10歳になった同士の少年と少女がポケモンと共に旅立っていくという王道のお話。ただ、ジュリという少女は異様なほどまでに色違いのポケモンを欲しがっている。彼女に振り回され、テンマというライバル(?)に邪魔をされつつ、旅立ちの日まで目的の色違いを探していると運命の出会いが……
 それはいいのだけれど、どうしてジュリとテンマがそこまでして色違いのポケモン固執しているのかが最後まで読み取れずモヤモヤしてしまった。単なるノリならそう言い切ってしまうくらいがちょうど良かった。この点について「考えさせられる」「想像の余地がある」というのは簡単だけれど、物語の根幹に関わる部分だと思うし、わざわざボカす必要も感じられない。ジュリはまあそういう性格だからで押し通すとしても、テンマには何かしらの理由づけは必須だろう。陳腐な表現になってしまうが、そこが納得できないと「感情移入」ができないのである。……自分で書いてて嫌なレビューだあ。


『うつろいの羽』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2697/

 ポケモン二次小説は多かれど、ポケモンが全くいない現実の世界が登場することはあんましないのではないだろうか。この短編は「うつろいの羽」なる奇妙なアイテムを使って、うまく現実とポケモンの世界を描いている。
 一方ではポケモントレーナーとして旅立ちを迎える日、もう一方では憂鬱な二学期を迎える日。少年は兄から受け取った謎めいた羽と共に、繰り返しその場その場の別の現実を生きることになるが、これがのび太式にうまく行かないから面白い。ストーリーの枠はまさしくドラえもん。初めに受け取ったゼニガメでは最初の森で詰んでしまい、次のヒトカゲでは雨に降られて挫折、今度こそはとフシギダネを最強にして臨むも永遠に続くかのようなバトルに耐えられず結局逃げ出してしまう。一方の現実でも自分だけ夏休みの宿題を忘れて恥を掻いたりと散々である。
 そんなことを繰り返していくうちに、最後は学校に羽を持ち出そうとした少年が車に轢かれてしまう。しかし意識が覚めるとそこは夏休みが始まって間もない現実。「うつろいの羽」だってもはやない。果たしてどれが夢で、どれが本当の現実なのか? 考えようによっては不気味な話にもなりえますね……


『10年後も君を愛してる』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2698/

 ひ弱なリザードと彼を優しく見守るベイリーフとのロマンス……強い気持ち、強い愛ってやつです。今のこの気持ち、本当だよね? で、それが進化のトリガーになる、というのはエモいものです。ただ、内容的にはプロットに毛が生えた程度で終わってしまっている印象。このエモさを小説としてもっと肉付けしてほしい。


『雷轟の奏者〜10弦ストリンダーの名もなき冒険譚』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2699/

 エレズンながら最強の探検家でならしていた設定とか、「タタリ病」という進化不全を思わせる奇病をめぐる謎、そして相棒役として面白く動いてくれそうなモグリュー……さて、物語の準備は整ったかと思いきや「起承」で終わってしまっているのがとても残念。イベントは時間の戦いだから難しいところではあるけど、タイトルからしてもそこまで書かないと意味があるまい。
 しかしいかにも続きが書かれそうな文なので、期待したいです。


『物質の第4状態における生命の活動内容報告書㊙︎』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2700/

 SCPを思わせるような研究所に置かれたロトムの観察記。1週間ごとに書かれた報告書が次第にロトムに犯されていく様が簡潔に表現されてますね……やっぱり後半の2進数の暗号、解読しないとダメですかね。たぶん『二銭銅貨』式の暗号だと、思うんですけど!


『進む数』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2701/

 2進数の次は10進数の謎を巡る冒険である。一体なぜ10数えるごとに桁が一つ増えるのか? その謎を解明すべく、彼らは不思議のダンジョンへ潜り込んだ……
 とはいえ、今作のメインはアクションである。わりと脳筋気味のエネコに、言い出しっぺながら戦闘能力皆無なラルトスという凸凹コンビが、ギャーギャー騒ぎながら困難を克服して、ついでに友情を深めて、成長もしていくと要素たっぷり。当然、モンスターハウスに踏み込むのはお約束だし罠を踏むのもノルマである。ピンチがチャンスへ切り替わる快感含め、ポケダン&アクションに求められるものをしっかりと抑えつつ、敵を薙ぎ倒していくエネコに、サイコキネシスでサポートをするラルトスの姿がカッコいい。
 ダンジョンの最奥に出てくる謎のおじさんの謎っぷりも面白い。どんなイントネーションで喋っているのだろうか、と想像してみるのも一興ですね! それにしても「浜図」は難読だと思った、とってもキャラ付けとしては味わい深くて良きですが!


『人類総タマタマ』

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 タイトルのインパクトと、そこからイメージされるものと内容との意外性ではNo. 1であった。
 弘海明人という男の実直ながら妙なパーソナリティ、これが小説の機動力。行動原理がただ「ポケモンが好きである」という一点に尽きるというのがミソである。この何の変哲もないように見えて、気になって仕方がない彼の性格のおかげで、ついつい先へ読み進めてしまえる、不思議である。弘海明人は弘海明人である、「彼」でも「弘海」でも「明人」でもダメだ。それはよく似た別人だ。そういう男である(と思う)。
 ポケモンが好きであるが故に、ポケモンとはあまり関わりのない道を選び、そこでも実直に仕事に励む、何だかんだで成果を上げていく弘海明人。しかし、微かにポケモンと関わる道への憧れが再燃してきたところで現れる10対のタマタマ。彼(ら?)との出会いによって起こるトランスというエピファニーがとても軽やか。「まわる。まわる。まわる——」。
 この脱力するような体験によって、弘海明人は自分の殻を破ることができたわけである。一旦頭の中を空っぽにして、無になって、何も考えないようにして、それで自分という壁を意外と容易く乗り越えてしまう、この「軽さ」がいい。痛快な終わり方だと思う。


『君と夏の終わり』

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 タイトルで作者の年代がバレる!……ところで作者氏の夏休みのイメージってZONEとwhiteberryで形作られていますね? 僕もです。あの頃は夏休みになると、午前9時か10時くらいにむかしのアニメの一挙再放送とかやってましたねえ……けどそれはそれ!
 「夏の終わり」には「季節」と「青春」がかけられていますね。とはいえそこに侘しさはなくて寧ろ逆。なにせ「残暑は厳しくまだまだ蒸し暑い」から。かつての旅仲間である「彼女」に呼ばれて、農作業の手伝いをすることになった「僕」の夏の1日は、オボンの実の栽培作業のリアリティある描写、「彼女」との何気ない会話、過去の回想を交えながら過ぎていく。そしてほんのちょっぴり抱いている淡い感情。夏の終わりと言いつつも、眩しくて瑞々しい未来をしっかりと見据えている気持ちのいい短編でした。


『カレンダーに遺された記憶』

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 晩節を迎えた老チャンピオンが、捨てられない10年前のカレンダーを眺めて想起する回想。彼にはどうやら曽孫がいて、チャンピオンである曽祖父と戦うべく旅立った、はずだったのだが。それが陰惨な事実であることは想像できるが、曽孫に一体何があったのか。最後にその曽孫が現れ、勝負を挑んでくる姿は幻なのか、それとも何か別種の現実なのか。掌編ながらも、解釈はいくつもできる書き方でした。


チェンジリング

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2705/

 出張帰りだろうか、アヤメという女性が育て屋に預けたイーブイを引き取って3日ぶりに再開するが、すぐにその違和感に気付いて憤然として育て屋に駆け込むと……
 感想のために改めて読み返すと地味に発見がある。考えてみればアヤメが引き取った「ミライ」の違和感に気づくのは一瞬で、いかにそれが執念じみた「手塩」だったかが窺える。そりゃ、ヒステリックにもなるというものだ。それに、地の文の至る所にこっそりと「彼女」の視線が書き込まれてもいる、ヒエッ。
 モンスターボールによるポケモン管理のシステムはよく練られていると思った。これが単なるすり替えではないということを示唆するために、登録されたポケモン以外はボールには入らない仕組みと描写しているなどこの辺りは細かい。
 一方で、アヤメにせよ、育て屋のスタッフにせよ、警察の人間にせよ、誰一人として「彼女」の可能性に思い至らないところは少々引っかかった。冗談ながらもマナフィの可能性は言及されているわけだけになおさら。
 ポケ字書きの視点からすれば、オーベムの記憶改変能力は、ゾロアークのイリュージョン並にメジャーな手段だと思う(自分もこないだ使った)。驚きというより、「だよな」とストンと腑に落ちたような感触なのだが、それでは多分意図されたのとは違う反応になってしまうのだろうか。
 ところで、この世界ではエスパータイプはAI付家電の上位互換のようなものとして重宝がられてる、ってことだろうか。アヤメのオーベムに対する態度も明らかに「ミライ」とは違ってどこか尊大だし、そもそもあの場面に至るまで彼女はオーベムに声をかけもしなかったわけで、そういう互いの冷ややかな関係性が、オチをギリギリまで伏せるのにも役立っているというわけである。


『10人会議』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2706/

 会議室、異なる性格の男が10人、何も起きないはずがなく。なぜだか「告白のしかた」について議論することになったけれど、やはり会議は踊る、されど進まずの体。そんな会議を淡々と記録していく書記が最後に手をあげると……
 つまりはリアルの告白前に暴れる脳内テンションを『インサイド・ヘッド』式に擬人化して表現したものだが、このドタバタ感は読んでいて楽しい。彼らの議論中に出てくるサーナイトロズレイドの話題が出てくることから、この男たちは一体何者で何のためにこんなことを話しているんだろうと引っかかりを残しておき、中弛みしないタイミングでその疑問を綺麗に解消するという、とてもまとまりがいい展開です。
 そして思い人(ポケ)のチラチーノにいよいよ告白をするわけだけれど、そのセレクトがニャイキングというのも印象的。そういえば、二次創作でまだ見たことなかったな……これまでにはヤブクロンラムパルドなど公式非公式問わず、チラチーノ(あるいはチラーミィ)に告るポケモン枠というのはあったわけですが、いいですねえ、してやられました。


『きらきら』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2707/

 孤独な女の子の前に現れる不思議な男の子。なぜだか無口なその「ノア」くんと公園で交流していくうちに、その正体に気付いてしまい……
 ゾロアゾロアーク)ネタである。こっそりと人間に化けたゾロアとの交流譚はエロ非エロ問わず定番ネタではあると思うが、ここでは「ノア」くんことゾロアは女の子に対して明確な好意を向けているし、女の子だってやぶさかなじゃない、つまりは両思いなのだけれど、「ノア」くんはあっさりと身を引いてしまう。そこに奥ゆかしさを感じるか物足りなさを覚えるかで、wikiかスクエアの適正が占えるのではなかろうか(いま適当なこと言った)。
 そして10年経って、彼女の人生の晴れ舞台をこっそりと祝いにやってくるゾロアーク……ここまで下に出るキャラ付けは珍しいですね、やっぱり。


『無垢なるモノ』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2708/

 とにかく主人公に救いがないという意味で、重いと感じた一作。
 退屈な田舎の生活を厭って10歳の年にヒトカゲと共にトレーナーとして旅に出た少年の心にはひたすら「平凡さ」への恐怖や嫌悪が巣食っている。変わり映えのしない日常を打破して特別な生を生きること、人生に価値があるとすれば、もはやそれだけと言ったような、信仰のような狂気のような信念である。だから、自分は相棒のヒトカゲと共にサクセスストーリーを歩むのだし、幼馴染の少女もそんな自分の背中を追いかけて来るものだと決めつけている。
 見方を変えてしまえばエゴの塊である。しかしそういう強固なエゴはとても脆く、呆気なくヒビが入り、そして粉々に割れてしまう。夢が暗礁に乗り上げ、少女があの退屈だと感じ続けていた町に留まったことを知った瞬間、彼の描いた夢は瞬く間に描き消えてしまう。
 それに少年の傲慢さに対して、その描写は容赦というものがない。怠惰で無気力なダメ男について書いているかのように、 少年の挫折する姿は風刺的ですらある。8個目のバッジを手にするために「ジムリーダーに呆れられるほど戦いを挑」む姿はほとんど無様だし、初めてリーグトーナメントを勝ち上がれたのは「不戦勝などの幸運も相まった」からだとケチをつけるのも忘れない。極め付けには、惨敗を喫した四天王は彼と「ほとんど同世代」である上に、その人物から「一体今まで何をしてきたんだい?」と追い討ちのような言葉まで吐かせる。
 それだけでもしんどいと言うのに、故郷の町が「災害」に見舞われてゴーストタウンになっているのだからたまらない(『10年後の春』ほど直接的ではないが、震災を強く連想させる)。しかし、育ての親も幼なじみさえも生死不明になってさえ、帰ることを拒んでいた(「帰るとすれば、チャンピオンになって凱旋するときだけ」)少年が故郷へ足を向けるためには、捨ててしまったヒトカゲの幻影を引き連れて来なければならないほど、心が壊れているのはいたたまれない。
 最後に、彼はなんとか過去の記憶を内面化して、現実の世界を生きようと決意して故郷を去る。ただ彼にできることは「傲慢に祈る」ことにすぎないし、「傲慢に」という副詞もどこか少年の再生に対して懐疑的な響きを帯びているようも思える。希望とは言っても、ようやく泥沼から鼻だけは出した、というところで彼を包み込む闇はあまりにも深い。
 彼は救われるのだろうか? 彼を救うことはできるのだろうか? 


『——そして目の前が真っ白になった』

https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2693/

 11の断章から構成されるトレーナーとビリリダマ(あるいはマルマイン)のパニックの一幕。ビリリダマは50センチ、マルマインだとすれば120センチだが、「就寝時はボールと同等の大きさまで小さくなる」し、「ボールから出たまま小さくなる」という困った習慣のおかげで危なっかしさが増し増して笑ってしまう。
 本文は短いけれど、意味ありげに付された数字、しかもなぜか「0」から始まっている。そんなことも気になりながらも、今にも爆発しそうな彼らの様子を微笑ましく(?)見守っていると、最後の「10」でその意味がわかって膝を打つ。掌編でインパクトを残すためのナイスな構成だと思います。そして改めて「10」から遡って読んでいくことで、二度美味しい、二度笑える。
 よく読んでみると断章ごとにトレーナーとビリリダママルマイン?)の視点が変わっていることがわかる。「君」という人称がたびたび強調されているから、一人称ながら二人称的にも読めてくるので、それも混乱というか情景のパニック具合に拍車をかけているようにも見える。この視点交代が意図的なのかどうかはちょっとわからないけれど。


 こういう感想を書いているということは、そういう感想を書かれることを「覚悟」して書かねばなるまい。うん、うかうかしていられない……