ええ、僕自身のケモナー人生を顧みる上で、原点と言うべきゲームがいくつかあります。以前Twitterで呟いたこともあるのですが、
・『スターフォックス64』
・『マリオストーリー』
というのがまずはあり……前者は言うまでもないですね。同年代のケモナーでファルコ・ランバルディやウルフ・オドネルが初恋のケモでしたという奴は決して少なくないと思います。『マリオストーリー』にしても、クリボーやノコノコに固有のキャラ付けをすることでこんなにかわいいなんて! と思った向きも少なくないはずで。これについてはいつかちゃんと短編書いてひとしきり語りたいつもりでいるのです、カメキとパレッタは絶対に書かなければいけない題材と10年以上思っているところでして……(余談ですが僕は『スーパーシール』以降の路線変更には一貫して否定的です。その点に関しては宮本さんを全く評価しません。『スタフォ』を事実上飼い殺しにしたのも宮本氏だし……まあ、それはそれとして)(余談続き。これらの作品今やswitchで遊ぶことができるんですよね。どうかもっとプレイされてリバイバルされることを願ってやみません)。
もう一つが今作に関わるもので、
・『ヨッシーストーリー』
ということになります。有名タイトルなので細かい説明は不要なので省きますが、当時、とにかく僕の心象に強く残ったのが、ミスした際にヨッシーがカメックたちによってクッパ城へ連れ去られるシーンでした。
後々になって三島由紀夫の『仮面の告白』を読んでいた際、語り手が子供のころ英雄譚の主人公が死ぬ姿を想像して暗い喜びを覚えた云々という記述があり(うろ覚えですが)、そうそうと共感しながら真っ先に連想したもの一つが『ヨッシーストーリー』のコレでした(あとは『スタフォ64』でフォックスのアーウィンが墜落炎上そて『フォックス〜』って叫ばれるヤツ)。ヨッシーたちが涙を流しながら牢屋にぶち込まれるイメージは、当時の僕にとり確かに「性癖」なのでした。
当時は光文社辺りから任天堂タイトルの4コマアンソロジーが出ており、それも幼い僕の空想をいっそう刺激することになりました。あと、かつて沢田マリオと双璧を成したボンボンの本山マリオなんかも(余談ですけど、本山版は『ヨッシーストーリー』をもって完結してしまったんですよ。正直次回作の『マリオストーリー』まで描いていてくれれば……と今も思わずにはいられないんです。もっとイキイキ動くカメキとパレッタが見たかったんだよ!)
大雑把ですが、これが僕のケモナー前史というやつです。『朝の食事』にはそういう数十年単位で詰め込んだクソデカ感情があったんですね、ということを言っておきたかった。『ヨッシーストーリー』を軸にヨシクパの関係性を原作要素から抜き取ったり一部捏造したり……「おうまさん」のくだりとか、脚色はあれど子どもの頃にしたやましい空想の延長線上にあります。
話のベースになっているのは(というかタイトルの引用元でもありますが)、フランスの詩人ジャック・プレヴェールの詩『朝の食事 Déjeuner du matin』。フランス語初読者が必ず講読で読む文学作品の一つです(たぶん)。簡潔ながら、恋愛関係の機敏や物悲しいドラマ性が醸し出された味わい深い作品です。
この詩の展開をベースにしながら、気弱なクッパ様と、あれやこれやと捲し立て大魔王様を詰めるヨッシーという意外性ある対比ということで好き勝手書きました。なかなか楽しかったです。こういう長文の捲し立てをするのが、好きなんだなあと書いてみて思いました。それを延々とやっているのが某クソホモ童貞というわけで、こういうところで作品同士が通底しているんですねえ……