2022年自創作振り返り⑥『ミシシッピアカミミガメのおっさんと僕』編

来年は参加するから許して! あと獣文連に出して

 

前記事の『ライ麦畑で踊れ』もそうですけど、イベントのために制作していた作品を出せない、っていうのは悔しいというか虚しい気分になります、少なくとも投稿してからしばらくの間は。例えていえば、マラソンレースで20キロ辺りからジワジワ遅れ始め、優勝争いから完全に脱落した後でも一人走り続けなければならない、ペースもどんどん落ちて、腕の力でようやっと走っているような状態だ、それで何とかゴールはしたけれど……そういう中位のランナーになったような気持ち。

2022年の創作については、ベストを尽くせなかったとか、もう少しやれたんじゃないかとか自問することが多かったし、それで微妙に心身面で体調崩した時期もありました。勝負事って勿論参加することにも意義はあれど、一方で成績を挙げてナンボでもあります。とりわけ光を浴びることの少ない文字書きにとっては。

 

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ミシシッピアカミミガメのおっさんと僕』はこのあいだ結果が発表されたJmof内のイベント「ケモノストーリーコンテスト2023」のために書こうと試みられた一編であります。言うまでもなく、締切の8月末には間に合わず、しかしそれからも書き続けられ、ようやく11月に完成にこぎつけた、という代物。とはいえ、それだって3万字を超えているため、2万字程度を想定しているJmofの応募要項を満たしていない、紛うことなき失格でした。

敗因は言うに及ばずですが準備不足。5月にテーマが発表されてから、時間があったものを、書き始めたのは8月も半ばになってから(『ライ麦』『百代』も大概ですが、1週間あれば小説は書けるという無意識の傲慢さが自分にはあるようで……)。案の定、5000字まで書き進めた辺りで行き詰まり、放置気味となり、あっという間に〆切が来て……この間の経緯については本当にしょうもないので割愛。ただ昨年の8月は自分にとり魔の月でした。いわば惨めな状態でした。

そんな精神状態を引きずって『ミシシッピアカミミガメのおっさん』は書かれていたわけですが、作品自体はなんだかんだで愛着があります。初めて書いたオリケモものであるし、描写の至らないところがあるとはいえ、目指していたイメージとさほど遠くないものは書けたかなと。アステカかインカか、そういう未開(というと近代合理主義的な形容でセンシティブだろうけれど)の土地に突然居座り始めたミシシッピアカミミガメの戦士と、トカゲの少年(イグアナと表記こそしているものの、正直種類にこだわりはなかった)の交流。

ミシシッピアカミミガメのおっさん」という呼称を執拗に繰り返すことをやりたかったのです。数えたら本文中には226回も登場しているみたいです。だいたい150文字に1回くらいの割合だから、読む側は1文ごとにこの言い回しを聞かされることになる、という塩梅です。似たようなフレーズを何度もするというのは、まるでプロパガンダの手法のようだけれど、僕はこういうのが好きらしいですね(それが効果的かどうかの判断は読者に委ねられますが)。

時間軸が複雑になっているのは、ケモストのテーマが「back to」だったから。超常的な力によって、ミシシッピアカミミガメのおっさんが過去から未来に飛ばされ、なんやかんやあってまた過去に戻り、そして未来を変える……という感じです。

というか、そもそもどうしてミシシッピアカミミガメなのか? 本編の後書きでも書いたんですけど、ケモノというものを考えるうえで、僕自身が密接に関わってきたケモノってそんなにないということに気付かされたのでした。パンダとかいまだに実物を一度も見たことがない。他の動物についても然りです。その中で自信を持って、むかしから触れ合ってきたと言える動物は犬と、小学生のころから実家でしぶとく生き続けているミシシッピアカミミガメ(いわゆるミドリガメ)というわけで。

細かなところを語れば、まだ語れそうですが(健全ではあるが、トカゲくんの肉体をやたら強調するような書き振りとか、思わせぶりな会話の流れだとか。〆切過ぎたし、字数も考えなくてもいいし、好き勝手やったろう、という結果です)

しかし、完成させたとはいえ、ケモストの期限はとっくに過ぎているし、作品を問う場所がないというのはやっぱり悔しいものです。正月の箱根駅伝、母校の襷が繋がらないとはこういうことか、と鶴見中継所の光景をテレビで見ながら思ったりもします(長距離走の例え多いですね)。やはり、自作が審査の俎上に上がらないことは甲斐も少ないと思います。次は……ちゃんと応募できればいいですね。

 

おまけに。見えにくいですけど、僕ん家のミシシッピアカミミガメです。20年以上、しぶとく生きております。