『百代の用心棒』 ジュナイパーが歌っていたあのアレについて語る(前編)

始まりの浜にて、彼は何を思うのか……というテイでお願いします

 

 『百代の用心棒』完結記念というでもないけれど、本編に(勝手に)引用した楽曲について一言コメントを添えつつご紹介していきたい。本来だったら権利関係のチェックやらの手続きが必要なんだろうけれど、そこは二次創作だからとお気楽に逃げていく。とりあえず前編ということで第1〜6章までに登場した楽曲から。

 

1:『田園』 玉置浩二 1996年 
 第1章、浪人のヒスイジュナイパーが列石峠で腹を切ろうとする場面

 安全地帯ボーカルの玉置浩二のシングルでは一番有名な曲(だろう)。死のうという場面で「生きていくんだ それでいいんだ」と肯定的な歌詞を歌い出すおかしみを狙いたかった。たぶんみんな疑問に思っているのだろうが、なぜこのジュナイパーは遥か未来の音楽を知って、あまつさえ歌うことができるのか? ハッキリと答えを言うのは野暮だから明言はしないけれども、ひとまずこのジュナイパーがただならぬ存在である、という印象を持ってもらえれば幸いである。

 


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2:『DIAMONDS』 PRINCESS PRINCESS  1989年
 第2章、ピカチュウとの会話の中で引用

 


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3:『M』 上に同じ 1989年
 第2章、ピカチュウの前で再度腹を切ろうとする場面

 


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 いずれも平成初期のヒット曲となると必ず取り上げられるプリプリの代表曲である。もちろん自分は世代じゃなく、解散後にたびたび「あの人はいま?」的な企画でメンバーがテレビに取材されてたのを覚えている。震災後に期間限定で復活したのもまだ記憶に新しいところ。
全編通して言えることではあるが、「なぜここでこの曲を?」という選曲基準は、わりかしそのとき聴いてた曲だったからという安直な理由も多かったりするのである。

 

4:『ドアをノックするのは誰だ?』 小沢健二 1994年
 第3章、ムウマもどき(ハバタクカミ)を引きずりながら時空の歪みから出てくる場面 

 


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↑MVが見つからなかったのでライブ版

 

 本曲が収録されたアルバム『LIFE』は90年代の名盤を挙げろって話題になると絶対に上がる一枚。オザケンというと、後述のフリッパーズ・ギターの解散後にソロデビューしてこの曲のほかにも『ラブリー』や『今夜はブギー・バック』などをリリースした伝説的なアーティストである。98年に突然活動を休止し約20年間表舞台に帰って来なかったことも神格化の要因だった。ちなみに世界的指揮者の小澤征爾は叔父にあたる。
 けれどwikiの感想会で「わからなかった」という声が多かった曲の一つでもある。そういう自分も近年になるまで一切まともに聴いたことがなかった。この手の曲は何かのキッカケがないと聴かない曲だとは思う。そんな曲を二次創作に引用するな、と言えばそれまでだけれど……

 

5:『接吻』 Original Love  1993年
 第3章、怪物(コライドン)と再度遭遇し、気を失いかけたジュナイパーが漏らす

 


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 wikiの感想会で「わからなかった」という声が多かった曲二つ目。これもいわゆる「渋谷系」である。ちなみにボーカルの田島貴男が94年辺りに「俺は渋谷系じゃねえ!」とライブ中に叫んだことで「渋谷系」という表現が広く定着するようになった、というエピソードがあったりする。それはさておき、これもOriginal Loveの代表曲で、カバーも非常に多い。田島貴男は当時まだ27歳……色気とか色々おかしくないだろうか? 個人的な話だが、理想の40〜50代の男は田島貴男とか(今作では登場しないが)岡村靖幸を自分はイメージしていたりする。HYDEみたいな美しさはなくてもいいんで、スーツが似合って、それでバリバリとパフォーマンスできるダンディさが欲しい。

 

6:『虹の都へ』 高野寛 1990年
 第4章、「あの怪物と一体何があったんだよ」と問いただすピカチュウをはぐらかすように嘴遊む

 


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 マニアックさでいえば本作で ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ だと言える。この曲と『ベステンダンク』、それから前述の田島貴男とのデュオソング『Winter’s Tale〜冬物語〜』辺りが代表曲。ただ、自分もそこまでよく知ってるわけではなく、単に『虹の都へ』はヘビロテするくらいには好きだから……という理由での選出であった。先日亡くなった坂本龍一や後述のTHE BOOM宮沢和史とか、結構有名どころと組んだりしている。

 

7:『それが大事』 大事MANブラザースバンド 1991年
 第4章、「『閑吟集』にあるランセの歌謡だよ」と適当なことを言いながら

 


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 これはまあ有名だろう。1991年の大ヒット曲。大事MANブラザーズバンドという、いかにもこの曲のためだけにあるかのようなバンド名から察せられるように、典型的な一発屋ソングだったが、一度聞くと忘れられないし、時々聴きたくなる歌だ。関係ないが、同時期の一発屋ソングというと、KAN『愛は勝つ』なんかもあって、それも引用したくもあったのだが、あれはなぜかサブスク配信がされていない(KANの他の曲はあるのに)。アーティストのプライドか何かなのだろうか?

 

8:『ルビーの指環』 寺尾聰 1981年
 第5章、時空の歪みに現れた怪物(パラドックスポケモン)を薙ぎ倒しながら

 


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 俳優・寺尾聰の歌手としての代表曲であるとともに、1981年を象徴する一曲(日本レコード大賞オリコン年間売上1位など)。作詞は元はっぴいえんど松本隆。現代J-POPの礎を築いた功労者の一人で、この後にもちょくちょく「作詞:松本隆」が出てくるので注目してみるといいかも?

 この時代のヒットチャートというのはバランスが取れていて、シティポップにアイドルソングから演歌まで普通に織り混ざっていた。紅白の視聴率が80%を超えていたというから隔世の感がすごい。そんな時代の雰囲気を今に伝える曲として(?)

 

9:『風になりたい』 THE BOOM  1995年
 第5章、最後のところでジュナイパーが嘴遊む

 


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 『島唄』と並ぶTHE BOOMのヒット曲で、現在も音楽教科書に載ったりCMで利用されたりと耳にする機会は多いと思われる。民族音楽のリズムを使いながら、普遍的なメッセージを爽やかに歌った名曲である。読んだ人ならわかるが、『百代の用心棒』の前作にあたる『ライ麦畑で踊れ』に引き続いて選んだもの。両作に登場するジュナイパーというキャラクターが同一の存在である、ということをそれとなく示す意味合いもあった。

 

10:『ガッツだぜ‼︎』 ウルフルズ 1995年
 第6章、ピカチュウの「あの化け物をどうにかする手立ては思いついたのかよ」に対して

 


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 ウルフルズと言えばコレ、といまだになる代表作&出世作。あけすけでハイテンションな曲だけどwikipediaを読む限りだとかなり精神的に追い詰められたなかで作った楽曲だという。改めて聞き返してみると、わりとダイレクトにシモい歌詞が使われている。けど「モテない デキない 言えそーもない」とか「イキたい 抱きたい 愛しあいたい ムチャでもいいから やってちょーだい」とか、童貞心理を突いてきている。うちのドラパルトとか好きそう(?)

 

11:『花-Memento-Mori-』 Mr.Children  1996年
 第6章、ピカチュウに煽られて崖上からいきなり大声で歌い出す

 


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 カラオケでも絶対に滑らない大正義ミスチルの名曲から。この曲が収録された『深海』はミスチルの歴代アルバム中でも屈指の名盤と呼ばれたりする(90年代ミスチルの代表曲『名もなき詩』も『深海』収録)。当時の桜井和寿は、売れっ子である一方かなり疲弊しており、自殺願望を口にするほどだったという(wikipedia情報)。そういうメンタルのときに傑作ができる、というのはアーティスト的には嬉しいことなのか困ることなのか……

 

12:『Young, Alive, in Love / 恋とマシンガン』 フリッパーズ・ギター 1990年
 第6章、ヤケクソになったジュナイパーが人々の前で歌い散らかす場面で

 


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 ……それにしてもCorneliusこと小山田圭吾小沢健二が30年ほど前にデュオを組んでたって、今からすると信じらんない話である。性格も音楽性も真逆そうなのに、よく当時ウマが合ったなと思う。フリッパーズ・ギターが小山田と小沢の2人体制で活動したのはわずか2年あまりだが、その間に発表した『CAMERA TALK』と『ヘッド博士の世界塔』という2枚のアルバムは、その後のJ-POPの潮流にどデカい影響を及ぼした。言うまでもなく、90年代必修アルバムである。選出曲はそんなフリッパーズ・ギターの楽曲中でもタイアップが多く、比較的広告で耳にする曲、だと思う。PVも洒落ている、時代感じるけれど……

 

 とりあえず今日はここまで。
 後編はまた時間あるときに……