雑記240213


有給を取ったので今日まで4連休だった。やはり週休は3日からに限る。4日も休んだらすっかり休んだという気になれる。

 

午前中は新宿に映画を観にいく。『スケアクロウ』という映画。面白かった。不安定で不器用なところのある二人の男が道中で色んな人と出会い、色々と騒動に巻き込まれながら旅するロードムービー

 

午後は久々に美術館へ行こうと思ったのだが、そういえば休日の翌日というのは閉めるところが多いのである。案の定、主だったところは大概閉館していた。さしあたって行くところもないが、このまますぐ帰りたくもないので、そのまま新宿から千駄ヶ谷まで歩いた。新宿御苑でもと思ったがここも今日は閉園で入れない。道伝いに歩くともう国立競技場であった。グズグズと歩いていると、こんなものに行き当たる。

 

 

旧国立競技場にあったモザイク壁画である。現在の競技場の裏手、正直あまり目立たないところに展示保存されている。前のオリンピックのために大沢昌助、竹田竹雄、宮本三郎脇田和の4人が制作したもので、紆余曲折の末に、この場所に保管されることになったそうである。それについての東京新聞の記事を読んだが、当初はほとんど議論されることなく撤去されそうになっていたのを、大沢昌助のご遺族の方が行政に働きかけたことで、今の形になったということだ。自分がよく知っているのは大沢と宮本くらいで、直に作品をいくつか観たのは大沢だけなので、あまりどうこうは言えないが、大沢が戦後具象から明るい抽象へと変わっていく時期の画風で面白いと思った。

 

 

見ると、一部の作品などは設置のためにわざわざ地下を掘り下げている。壁画のある側を見ればわかる通り、恐らく国立競技場に足を運ぶ際にもあまりここは通らないと思われる。付近にスタジアムへの入り口があるわけでもなく、知らなければなかなかわからない場所というきらいは否めないが、貴重な場所であった。ここからだと有名なホープ軒の黄色い建物や河出書房新社のオフィスなどが見えた。

 

聖徳記念絵画館

 

そこからさらに歩くと、堂々たる石像の建築が現れる。晴れ渡った青空に神殿のような佇まいが映えている。明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館である。ここは水曜が休館だったので中を覗くことができた。施設維持協力金という実質の入館料500円を払うと、明治天皇の業績を誕生から崩御まで描いた40有余点の絵画などを観覧できた。歴史教科書でよく見かける大政奉還江戸城無血開城の絵などはここの所蔵品である。館内の撮影はできなかったので、ザッと観て歩いた。

 

一際目を引かれたのが、《振天府》という絵であった。明治日本の歴史と天皇の足跡を画題としている都合上、記録画という側面の強い絵が多い中で、面白い絵だと思った。《振天府》というのは日清戦争の戦利品などを収めた皇室の施設ということであったが、この絵はそういう事実よりも台湾で得た文物を静物画のように配置して、絵の関心は専らそこに集中している。全体に黄色を基調としながら赤でアクセントをつけ、画面全体も引き締まっている。振天府という施設のことや、日清戦争の歴史的記録などは絵の背景や隅っこに追い払われているので、純粋に一枚の絵として観れるし、良い作品だと思った。

 

川村清雄《振天府》 1931(昭和6)年 凄く良い絵だと思うんですが、いかがでしょう

 

それで作者を見ると川村清雄という画家であった。そこで思い出したのだが、以前も自分は川村清雄のまた別の静物画を一目見て心惹かれていたのであった。明治期の洋画家であるが、当時主流だった印象派風の描き方とは違う重厚な油絵と言えばいいのだろうか。色彩や構図もうまく説明できないが、気にいるところが多かったのである。そうして川村清雄であるとわかって見ると、自分が以前惹かれた要素などが実際の絵を前にしてよく感得できるのだ。聖徳記念絵画館で観るべきものは間違いなく川村の《振天府》である。

 

それから信濃町駅の周辺で遅い昼飯を食おうと思ったのだが、意外に店がなく、四谷の方まで歩かされた。途中、創価学会本部や他の関連施設などを横目に見ながらちょうどいい飯屋を探していた。中学時代にニコニコ動画に入り浸っていた連中からすればある意味信濃町は聖地である。至る所に三色旗が旗めいているし、商店街の店もよく観察してみればあの青・黄・赤の組み合わせを見つけることができる。そもそも、商工会のシンボルがすでにそれなのであった。せっかくだから信濃町駅裏手にある本部でも撮ろうかと思ったが、関係者らしき人が立っているからよした。流石に追いかけられることはないだろうが、声を掛けられると参る。

 

駅前の書店では亡き池田先生の著作が……

 

ようやく松屋を見つけたので、そこで牛丼を食い、別の道を歩いて国立競技場まで戻る。5〜6年ほど前に同じ道を歩いたことを思い出す。途中、立ち止まって斎藤茂吉晩年の邸宅跡という掲示を見た時に思い出したのである。当時まだ競技場は建て替え中であった。

 

東京体育館のジムで2時間ほど筋トレと平泳ぎをして帰る。良い4連休だった。