感想を貰う感想について

 twitterでも呟いたのだが、そういえば、自分が書いた小説に感想やコメントをくれる方は全員同じ字書きだった。この場合の字書きとは、「過去1作でも小説を書いてpixivだとかに投稿したことがある」という意味である。要は、イラストと同等か場合によってはそれ以上の時間を費やして、その半分にも遠く及ばんような反響しか返ってこない字書きという世界に、それにもかかわらず飛び込む輩である。
 裏を返せば、小説を投稿したことがないいわゆる「読み専」の方から直接的な反応を受け取ったことがないっていうことでもある。まあ、「いいね」やら「ブックマーク」はもらうけど、それ以上のリアクションというのは基本的に、ない。
 けれども、これもツイートしたことなのだが、他人の小説を読んでしかも感想まで送るような人は、おそらくもう小説を書いているか、あるいは書きうる人、書く意志は持っている人だと思う。イラストやマンガにリプライするのとは、感覚が全然違うような気がする。これは何故だろう。
 ピエール・バイヤールというフランスの教授に『読んでいない本について堂々と語る方法』という人を食ったような本があるのだが、しかもそれを未読の上で堂々と話のタネにするのだが、小説を読んだふりするのにスキルがいるとすれば、おそらく絵やイラストについて表面的な感想を送るのはずっと簡単なことだろうと思う。
 昔からポケダンの2次創作マンガを描いておられ、かれこれ10年以上も界隈で活動を続けている方が、深夜にこっそり呟かれていたのだが、意地の悪い話ではあるけれどと前置きしたうえで、マンガに感想を送ってきた人に対して、マンガの内容についてひっかけ問題を出していたそうである。ちゃんと作品を読んでいれば誤りに気づけるのだが、これが引っかかるやつが非常に多かったと。なぜそんなことをしていたかと言えば、作者を煽てて、リク絵を描かせたり、妙なグループへ勧誘しようとしたりする連中が後を絶たなかったからだそうである。
 その話を聞くと、あれだけ大手の絵描きですらも面食い的にしか見られていないという現実があるわけである。絵っていうのは一瞥できてしまうし、それに大抵の連中は絵柄というよりも、何が描かれているかを見ているんじゃないか。好きなキャラじゃなけりゃ興味がない、という現金的な考えである。自己のいいね欄を省みてみれば、みんな大嫌いテンバイヤーと同じものがそこに通底してはいないだろうか。ある書き手ないし描き手を好きになる、ということはどういうことなんだろうか? これは誰もが立ち止まって考えてみるべき問題だろう。なんだこれ、天声人語か。
 感想送るってのも、なかなかに難しい話なのである。もちろん、作り手である以上、感想をもらえること自体は歓迎すべきで、それについてとやかくいうのはレギュレーション違反ではある、第一すっげえみっともないしね。それは別として、同じ字書きの方からの感想というのは、ちゃんと読んでくれたんだな、というのが直に伝わってきて嬉しかったり。それに、文章自体の質感だとか言い回しだとか、要するに文体を褒められたりすると、本当に、冥利に尽きるというものなのだ。