書きあぐねて、自作語り(『首領』の場合)

@TRMN_tenさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

 年明けに書いたぺラップとドンカラスの小説に濃い感想をいただいたし、書いて半年ということもあるし、コメ返も兼ねて自作語りでもしようかと思う。テルミンさんどうもありがとうございました。僕は優しい人です。
 さて、自作語りといってもツイッターの方ではあまりしてないし、そもそも好んでしたいとも思わないのだが、それというのも、いくら自分で考えて書いたものとはいえ、書かれなかった部分、曖昧になった部分について補足するのは、個人的には反則ではないかと思うからである。けれど、それこそが『首領』について言っておくか、と思った点でもあるので、書いておこうか。
 これは元々小説wikiのイベント「第12回仮面小説大会」向けに投稿したものである。その時には1〜3章まで書いており、大会後の2月に完結編として4章を投稿した。感想ではこの4章以降の内容についていくつか質問をされた。要は首領の没落とともに、グゥの身に起こるあれらの出来事は本当にあったことなのかどうか。
 結論としては「あった」のである。なぜなら、小説にそう書かれているから。
 どういうことか? まあ、自分の小説観というか考え方の問題である。だから、どういうことか? 小説って書かれてないことは存在しようがないでしょう? つまり、どういうことなんです? だから、「際限なく増え続けるヤミカラス」も「スゥの写し身達による徹底的な凌辱」も「あのラストシーン」も全て起きたことである。起きてしまったものは起きてしまったものなんである。なぜなら、そう小説に書いてしまったから。
 一つだけ具体的に語っておくと、最後に腐敗したスゥがアンノーンの群体になったのはラストのイメージとしてこれがパッと浮かんできたからだった。「僕こそがロゴスだよ」と言い切ったかの首領にふさわしい最期、ということで考え出したネタ。まるで、ロゴスだロゴスだと言っていたら本当にロゴスになってしまった、という皮肉のような、笑い話のような。
 もちろんこの語り手が信用できない類の語り手だったら話は変わるかもしれない(かわいそうなドクケイルくんの慌ただしい口述とかね)。けれど、そういうつもりでは書かなかった。トーンとしては、御伽噺を語っていく感じか。先の筋を必死に考えながら、ひたすら書けるところまで突っ走っていくという。だから整合性とかも実は深くは考えていなくて、本当にあったようにグゥとスゥの物語(と言えるのかどうか)を書いていったのだった。
 逆説的っぽいけれど、だからといって読み手が自由に内容を解釈することを阻害することではないのです。むしろこちらが自由に書いたからこそ、読む側もあれこれについて自由に解釈してもいいのだと思う。むしろ、その方が書いた側にとって、とても嬉しい。
 それに、スゥの側が最初っからグゥに対してかなりのクソデカ感情を抱いていた、とはこれを書き終わってだいぶ経った後で「あ、そう書いても良かったな」とか思ってしまうし……自由!