雑記240225

 3連休に限って天候も崩れるし、しかも寒い。出かけようと思っていたところもあったのだが、初日の金曜はほとんど寝て過ごしてしまった。今思い起こしてみても、何をしたのかすぐには思い出せない有様。どうでもいいということか。

 土曜は字書きの某氏の頼みで丸一日付きっきりで作業通話をしている。向こうがずっと書いているのでこちらもいい加減書き上げようと思っていたものを書いて、pixivに上げておく。深夜に向こうが書いた原稿が仕上がったので、読ませてもらう。都合上、詳しくは話せないが良い小説だと思う。作品に漂う寂寥感、諦念がひときわ印象に残った。このところ旧TwitterのTLがひっそりとしていて、あまり同業者(と言うべきなのか)たちと、励んでいるという感覚——しかし、「共にある」という感覚それ自体、自分がそう思っているだけかもしれず——が希薄で、薄々物寂しさを感じていたこともあったのだろうか、とにかくノスタルジアと言っては大袈裟だろうが、そんな孤絶した感覚を抱くものである(この間観たタルコフスキーの『ノスタルジア』のイメージ、孤独に感じられる時は本当にどこからも音が聞こえないものだ)。

 フォロワーとの会話からふと2年前このブログで書いた記事を読み返した。この時の自分の書きぶりがとても自由に感じられる。余計な自己検閲をせずに、言葉を吐き出しているという印象があった。そういうことができたのは、読み手に対する信頼があったのかもしれない、と書いていて思いつきのようなことを考えた。つまりこう書いたとしても、読む側がそのように解釈してくれる、だからそれなりに破格な書き方もした……というような。自分の言葉は誰に対して書かれているのだろうか。読み手という不確かなものの存在を掴み損ねているから、言葉のコロケーションや統辞法という普遍的な言語の法則を無難に意識するようになってしまうのではないか。ただ、その結果として、文章に面白みがなくなってしまっているような、正確な表現というものに気を取られ自分の表現というものを失くしてしまっているのではないか……思索は堂々巡りする。

 3連休の進捗としては、『ミイラ取り』は一応仕上げた。その他は牛歩。本は読もうという気持ちが空回りした。観たいと思っている映画も、観ずにまた1週間を過ごしてしまったな。

 余談だが日本酒を飲むために、わざわざ立派な陶芸家のぐい呑みを買ったんである。安い買い物ではなかったが、安物のお猪口で飲むよりはずっと風情があるだろうと思った。実際、酒はすすむ。刺身をつまみながら、2、3杯呑むのはなかなか乙だと思う。