雑記220413

 あるフォロワー5桁の、ケモホモ界隈でならばおそらく知らないケモナーはいないであろう絵師が、「AIのべりすと」について呟いていた。以前、自分も悪ふざけで使ったことのあるやつだ。そこにホモっぽい文章を適当に投げると、AIがそれらしい文章を自動生成してくれる、とご満悦であった。
 「AIのべりすと」、いわゆるテンプレのような文章を生成することにかけては、非常に有能であるというのが使ってみての実感だった。自分がやったときは腐女子っぽいテクストが生成されたのだが、これがいかにも「ぽい」のだ。確かにこのような文の言い回し、言葉の使い方、心理描写だとか、どこかで読んだことがある。
 逆に言えば、一人の人間がオリジナリティがあると思い込んで文章を書いたとしても、それはオタクだとか、腐女子(あるいは夢女子)だとか、あるいはケモナーだとかの集合的無意識みたいなものから逃れられない、ということなのかもしれない。SNSでバズる発信というのが、ほとんど発言する主体を問題にしないのに近い。大昔の本だが、『動物化するポストモダン』の議論とか引っ張り出したくなる。
 まあそれはそれとして、ケモホモに話題を限ってみても、雄同士の絡みで書かれ得るものなんて実際はタカが知れている。じゃあ何で差別化するかと言えば、絵師でいえば絵柄、字書きだったら文体である。ただ「AIのべりすと」を弄ればすぐにわかるが、やわな文章ではすぐにケモナーのデータベースの集積に取り込まれてしまう。明晰さ、厳密さ、「解像度」……思い悩むことは多い。