「ヤンデレ」について

 「好き」が暴走する、というメンタリティが好きだ。相手への好意が行き過ぎて周りが見えなくなる。冷静な行動が取れなくなる。破滅する寸前までそのことに気がつかないで平然としている。
 それを突き詰めると「ヤンデレ」ということになるのだが、自分が想定しているのはそこまでどぎついものでもない。必ずしも恋愛対象に危害を加える必要はない。行動の有無が重要なのではなくて、そういう行動を惹起しかねないほどの狂おしい心のあり方、というのに自分は惹かれる、というか「萌え」を感じる(「萌え」という感情も今やメイド喫茶でしか使われない枯れた言葉になってしまったように思うが、とある字書きの知り合いが熱弁したように、確かに「萌え」でしか言い表せない感情というのはある)。
 そこまでドロドロしていなくても、もっと爽やかな「ヤンデレ」というものがあるはずだ。自分は川本真琴という主に90年代に活躍した歌手が好きでよく聞いているのだけれど、その曲を聴いているとそういうのに近い感情に接した、と思う。たとえば『1/2』(ジュディマリの『そばかす』同様、『るろうに剣心』のOPに採用されたヒット曲だ)の歌い出し。

♪ 背中に耳をぴっとつけて抱きしめた
 境界線みたいな身体がじゃまだね どっかいっちゃいそうなのさ 

からの、

♪ 黙ってると ちぎれそうだから こんな気持ち
 半径3メートル以内の世界でもっと もっとひっついていたのさ

 互いの肉体の輪郭を「境界線」と呼んでもどかしさを感じているこのフレーズを聞くと、頭の中の「CP脳」が昂って仕方がない。身体性のしがらみを乗り越えて、心まで一つになりたい! という思いは純粋であるけれど、どこか危うさも感じられる。戸川純よろしく「愛してるって言わなきゃ殺す」まではいかないけど、曲の最後の方の、

ノストラダムスが予言したとおり この星が爆発する日は一つになりたい

 というこのフレーズ辺りに爽やかな「ヤンデレ」が感じられる。抱き締める時はきっとキテルグマのように締め殺さんばかりなのだろうな、と想像できるのが良い。そうそう、こういうのを書きたいんだよ! といつもCPを軸にした話を考えるとき、自分は川本真琴なるものを拠り所の一つにしている。
 こういうことを書いていると、自分がCPを設けて書いている小説の構図はかなり上の話で説明できてしまうんじゃないかと気づいた。ガアとウォーグルの話はまさにそんな気持ちで書いた。イオルブとアップリューもそうかもしれない。ゼルネアスとイベルタルの話も、ユレイドルの話も。最近で言えば、クパヨシも多分そうか。
 想像力の一つのあり方として、自分にはこういうのが小説として書きやすいのだろう。わかりやすいケモホモを書きたいと考えながら大概空想で終わってしまうのも、単なるエロには狂おしくなるようなパンチが弱いからかもしれない。