つまらない話

 つまらない話をしたい。だから、つまらない話をしよう。
 自分は基本的に、幸いにも繋がる機会を得た以外で絵師の方とはお近づきにならないようにしている。絵自体はTLに流れてくるから見るが、それだけで特に反応しないことがほとんど。たまにブクマしてこそこそ楽しむ程度である。実にアコギで、つまらない。
 なぜかといえば、これがつまらない話なのだが、単純に自分から行くだけのコミュ力と度胸がないからである。さらにつまらないのは、自分が一応字書きで創作勢であるがゆえのつまらないプライド故である。ああ、なんてつまらない。
 しかし、曲がりなりにも、零細ながらも創作をしている立場からすれば、相手から自分がその手の創作者としてみなされていないというのは、ひどく屈辱的なことではないだろうかとも思ってしまうのである。
 どんだけ相手の作品をいいねしてRTして、あまつさえリプライを送ろうが、当の絵師からすれば自分はいっこう大勢いるフォロワー・ファンのうちの一人でしかないわけである、ということを自分は意識してしまうタチだ。いや、自分はその人の純粋なファンなのだ、と言えばそれでいいはずなのだが、どこかで字書きとしてのプライドが燻っている。淀んでいる、と言うべきかもしれない。
 何よりそんなことをしていたら字書きはすべからく絵師のリプ欄にぶら下がっているモブではないか、没個性じゃないか、いいのかそれで!……と性格の悪い声が煽ってくる。けれど、そういう関わり方をしてたとしても、創作勢同士の付き合いにはならないわけである。相手は自分の小説など読まんだろうし、書いてることすらも知らないでいるだろう。いいとこ「後で読みます」と言われてやんわりと拒絶されるだけである。日本語の陰険な綾!
 つまり、つまり、自分はその他大勢に吸収されたくないということだ。相手にとって明瞭な「自我」でありたい、という自意識の現れ。ネットといえど、誰かと関係を築くとしたら、そうしたものでなければ、結局不満足に終わるんじゃないのか。空虚なものになるんじゃないのか。そんなものに何の意味がある? これは裏返せば、ストーカーだとか、狂信的なファンみたいな危険思想でもある。それにもかかわらず。
 ……自分の欠点をあらかじめ晒し出して予防線を張る卑屈な人間はモテないと相場が決まっている。つまり、こんなことを考えている自分はそちら側に片足突っ込んだ人間ということである。
 つまらない、ああ、なんてつまらない!
 だから、黙って書くのだ。