没稿:走れモトトカゲ

 

※作者からの一言

 このあいだのwikiの大会で思いがけず票をいただいた拙作なんですけど、〆切2時間前辺りまで現行の形とはちょっと違ってたって話をチラッとしました。というのも、当初はコレクレーが脇役として登場していて、勝手にモトトカゲくんに付いて行って軽口叩いたり、時にはちゃんとしたアドバイスをしたりと、基本的に無言なモトトカゲくんの代わりに喋る役をさせていたのでした。が、ギリギリになって迷いが生じた末(「この話にコレクレーいる?」と急に不安になった)、〆切2時間前にコレクレーの存在を全消し。余った2000字ほどで例のオチを一気に書き上げた(書き上げてしまった)のでした。

 後書きのさらに後書き、というのでもないですが元々書いてたバージョンもここでこ〜っそりお披露目する次第です。賛否両論だったミライドンパートの直前で終わってます。暇な時の読み比べにでも……どうぞ

 

 走れモトトカゲ

 

 モトトカゲの少年は、草原を爽やかに吹き抜けた風に恋をした。
 東1番エリアの草原を我が物顔で駆けずり回って、内側から火照った身体を冷やそうと東パルデア海の穏やかな波に足を浸したときだった。この辺りを荒々しく駆け回っているケンタロスどもとは違う足音が、モトトカゲの耳に心地よく鳴った。
 振り向けば、派手な紅色の体躯をしたものが浜辺に佇んでいた。自分よりも二回りほどは大きく、逞しく均整の取れた体つきをしているコライドンというポケモンのことなど、東1番エリア以外の世界を知らないナイーヴなモトトカゲには知る由もなかったが、胸元から突き出たタイヤのような喉袋で、自分と近しい種族であることはわかった。
 そのコライドンと目が合った。首を出したウミディグダのように直立したまま、モトトカゲは何も言うことができなかった。胸が激しくドキドキし、もう走ってもいないのになぜこんなにもカラダが燃え上がるようなのかがわからなかった。
 しばらくモトトカゲの少年を見つめていたコライドンは、やがてくるりと背を向けると、再び草原の方へ駆け出していってしまった。その走りは宙に浮かんでいるかのようだった。額から長く伸びた触角が紐帯のように後方へたなびいた。
 モトトカゲの少年のカラダは勝手に動いていた。追いかけなければいけない気がした。まるであのコライドンと自分が遠く生き別れた実の兄弟であるかのように、追いかけなかったらずっと心残りになってしまうのではないかという不安がその小柄な身を突き動かした。
 コライドンの後方にピッタリと着いて、カイデンたちが飛び交う浜辺から険しい上り坂を一気に駆け抜けていった。立ち止まれば、モトトカゲも悟られぬよう距離を置いた。そばに立て看板があったので、そこに身を隠して横目遣いに相手の様子を伺った。
「よっ!」
 いきなり声がしたのでモトトカゲはビクリとした。
「なんだよ、ビビっちゃって」
 看板の上に何か小さいものが立っていた。
「あんたモトトカゲだろー? 俺、コレクレーってんだ。ここで会ったのも何かの縁だよなー。まっ、よろしくよ」
 モトトカゲは曖昧に頷いた。その視線はコライドンの背中をチラチラと見て、コレクレーに対しては上の空だった。
「ふーん、あんた、アイツに興味あるんだ。まあ、珍しいよな、うん」
 コライドンが走り出した。それを見たモトトカゲも慌てて追いかけた。
 ボウルタウンを掠めるように通り過ぎると、目前には塔のようにそびえ立つ岸壁が迫ってきた。壁に向かって躊躇う様子もなくコライドンは飛び込んで、そのまま爪で岩肌を掴み、浮き出した肩甲骨を柔軟に上下させながら登り出した。モトトカゲは呆気に取られて、コライドンがすいすいと上へ登っていくのを見つめていた。
 音を立てて唾を飲み込んだ。岩に手をかけてみたが、上る勇気はなかった。見上げれば気の遠くなってしまう高さに、どうすることもできなかった。そんな切りたった崖を難なく上り切ったコライドンは自分のいる地上を見下ろすこともなく背中を翻して姿を消してしまう。
 モトトカゲは気が焦った。心臓が爆音を鳴らしていた。否応なしに尿意のようなものを覚え、もぞもぞと股を擦り合わせる。思い切って喰らいつくように壁にしがみついて頑張ってみたが、精々自分の背丈ほど上るだけで、手は力無く壁をするりと離れ、したたかに背中を打ってしまうのだった。痛いのと悔しいのと悲しいのとで、モトトカゲはその場でぐずり出してしまう。
「おーい」
 再び耳元で声がしたが、構わずモトトカゲは泣き続ける。
「シカトするなってえ」
 頬についたオレンジ色のコブを突かれてムッとして首を向けると肩に先ほどのコレクレーが乗っかっていた。金貨を嵌め込んだような瞳でジロジロとモトトカゲを見ている。
「せっかく会ったばかりなのに、行っちまうのはないだろーっ! ま、ここはこっそり背中に乗れる俺様なんだけどっ」
 モトトカゲは目を腫らしながら、訝しげにコレクレーを睨む。
「なんだよ、つれないヤツだなー」
 お前なんかに構っている暇なんかない、と言いたげにモトトカゲは恨みがましい目つきを向ける。
「おいおい、けどそんなことしてたら、あんたが追っかけてるヤツ、いよいよマジで見失っちゃうんじゃないの?」
 モトトカゲは鼻を啜った。ハッとして見上げると、崖上にコライドンの姿があった。ただ、自分のことを見下ろしてくれているのかどうかはわからなかったが。
「ならさ、俺にいい考えがあるんだけどっ」
 コレクレーは勝手に話を進めた。
「背中に俺を乗せてくれれば色々アドバイスしてやんよ! 何てったって俺はここいらの土地のことよく知ってるからさ……もー、しかめっ面すんなってえ。会って早々なんだけど、俺たちってなかなかいいコンビになるんじゃないかって思うんだ、そうだろ?」
 コライドンが再び姿を消した。そんなことをしても崖上を見ることはできないのに、モトトカゲはすっくと背伸びをした。
「なあ、嘘だと思ってもいいからさ。アイツに追いつきたいなら俺の言う通りにしてみてほしいなー……って」
 モトトカゲは身震いした。コレクレーは涼しい顔をしながら首元にしがみついて離れなかった。指で剥がそうとしても離れなかった。
「まあ、俺ってば常日頃からコインわっせわっせしてるから。それはともかくぅ! アイツはたぶんあの岩場の上で一休みすると思うぜ。だったらさ、計画はこう! その間にアレをグルって回り込んどけばまるって解決!……ってワケ」
 涙を抑えながら、モトトカゲは走り始めていた。うんうん、聞き分けのいいモトトカゲくんだ。頭の上に乗っかったコレクレーがご満悦にのたまうのを無視して、しゃにむに岸壁の周りを走って南5番エリアの渓谷に入ると、すっかり日が沈んでしまう。辺りがすっかり暗くなり、頭上のコレクレーがいびきを立て始めても走り続けた。左手の岩の塊をチラチラと見遣りながらコライドンの姿を探した。石ころのように転がるココガラやマメバッタに蹴つまずきそうになりながら急ぎに急いだ。
 空が白み出したころ、崖上から遠目にもわかる大きな影が現れた。それは間髪も入れずに、勢いよく崖から飛び降りたかと思うと、ふんわりと翼を広げ、滑るように空を飛んだ。影は次第に大きくなって、ハッキリとその容姿を確かめることができた。緋色の鱗が朝の光に燃えていた。間違いなかった。モトトカゲは見惚れたかのように、立ち止まり、しばしコライドンが飛ぶ姿を眺めていた。
「こーいうのを専門用語で……何て言うんだったっけなあ」
 ぞんざいな欠伸をしながら目を覚ましたコレクレーを不意に摘み上げて、そのまま道端に放り捨てようとしたが、指先に粘りついた鼻くそか何かのようにひっついて離れないのだった。
「けどさ、俺の言うことズバリ! だろ? ほら、こんなことしてるとまた見失っちゃうぞー」
 モトトカゲはまたぞろ走り出した。この晩は一睡もしていなかったが、疲れなど、あの日緋色に映えるコライドンの背中を見ることができさえすれば、忘れてしまえる。
 南5番エリアを過ぎれば渓谷も終わり、再び見慣れたような草原地帯へ入った。全速力で駆けたおかげで、コライドンの背中が少しずつ大きくなってきた。少し離れたところにピッタリ着いたモトトカゲがホッとしたのも束の間だった。
 コライドンが軽快に跳ね上がると、丘下の平原にふんわりと着地した。モトトカゲは急ブレーキし、高台の縁で止まった。コライドンはこちらを振り返りもせずにどんどん奥へと進んでいくのが見える。
「おいおい、どうしたんだよって」
 煽るようにコレクレーは言った。
「あんたにできることは二つに一つとかじゃなくて、一つ! ここから勇気をもって飛び降りてみること!」
 恐る恐る下を覗き込んだ。ちょっとした段差から川に飛び込むのとはワケが違う高さだった。足が勝手にガタガタしてきた。けれど、ここでグズグズして一匹ぼっちになってしまうのもイヤだった。どっちもイヤだった。モトトカゲの瞳が赤く充血した。
「よく泣くなー。けど、泣く子は育つっていうからいっぱい頑張れ」
 よくわからないことを言いながらコレクレーが景気付けに肩を叩く。さっきまですぐ目の前にいたコライドンが、もう草むらに隠れて見えなくなってしまいそうだ。呼吸を整え、その規則的なリズムに意識を集中させ、思い切ってそこから飛び降りた。着地は思ったよりも軽やかだった。
「いいねえ……いいんじゃないのお!」
 コレクレーが渋い笑みを浮かべるのも構わず、脚にジンとくる痺れを堪えながらモトトカゲは三度走り出した。右手には大きな川が流れ、そこを挟んだ先には何やら巨大な街が見えた。テーブルシティ、パルデアのへそだな、などと勝手に注釈するコレクレーを聞き流して、モトトカゲは先を急いだ。
 コライドンは街を南下して、プラトタウンという小さな集落の外れの草地を駆け抜けていた。モトトカゲはその姿を認めると、何かにお願いするような気持ちで全力を振り絞った。坂を上り、高地を駆け抜け、途中谷間に開いた穴を勢いで飛び越した。再び、コライドンの背中が視界いっぱいに広がっていた。
 モトトカゲの努力を褒めるように、南パルデア海がキラキラと輝いていた。崖に沿って進みながら、少年はしばしその絶景に見惚れた。そんな自分を導くコライドンの姿はいっそう眩く見え、まるで夢か何かを見ているみたいだった。
 遺跡が朽ちるままに打ち捨てられたところに行き着くと、コライドンは止まった。ちょうど日が沈んだところだった。辺りをキョロキョロと見回してから、その場で仰向けに寝転がって、そのうちすやすやと寝息を立て始める。モトトカゲは少し離れた草むらの中からその様子を眺めていた。集中の糸が切れてひとしきり欠伸をすると、二日分の眠気が一挙に押し寄せてきた。
「俺はこの世界のコインを集めまくってんだよねー」
 訊ねてもいないのに、コレクレーが語り出した。モトトカゲはその場でうずくまって目をつむった。あっという間に夢の中だった。夢の中ではどこまで穏やかな草原が広がり、木々には色とりどりのきのみがなり、いくら食べても良いのだった。
「俺には夢があってぇ……そのためにはコインをぅ……いっぱい集めないといけなくってぇ……それでぇ……——」

✳︎

 また日が昇る。起きて早々走り出したコライドンを待ちかねていたとばかりに、モトトカゲは茂みを飛び出した。急勾配の岩場を慎重に下りてしばらく走ると、草原の緑色は徐々に深みを増していく。周囲からは風に乗って甘く爽やかな香りが漂ってきた。
「パルデア十景の一つオリーブ大農園だ、スゴいだろ」
 まるで自分が生み出したものであるかのようにコレクレーが言った。豊かに茂るオリーブの木々を掻い潜るようにして先へ進むコライドンを見失わないように、地べたでちょこまかと動き回るミニーブに気をつけながら、モトトカゲはとにかく目の前へ意識を集中させる。  
 セルクルタウンを尻目に大農園を過ぎれば、長い坂道にさしかかった。見るからに険しく、厳しそうな道のりだったが、目の前を走るコライドンにはどこ吹く風で、少しもペースを落とさずに力強い足取りで急勾配の道を駆け上がっていく。モトトカゲも負けじと追いかけるが、どれだけ気力を振り絞って走ってもコライドンとの距離はどんどん開いていってしまう。
 峠にさしかかると、コライドンの姿が見えなくなった。モトトカゲは強い不安に襲われた。自分があそこまで辿り着くまでまだ時間がかかりそうだ、その間にもしどこかへ走り去ってしまったら——目を血走らせながら、泣き出したいような気持ちで、モトトカゲは坂道を駆け抜けた。ドキドキしすぎて胸の喉袋が爆発し、色んなものが吹き飛んでしまいそうだった。
 坂道のてっぺんまでたどり着いた。道は二方向に分かれていた。コライドンの姿はどこにもなかった。モトトカゲはその場にへなへなと崩れ落ちた。
「泣くのはまだ早いだろっ!」
 癪になる陽気さでコレクレーがモトトカゲの頭をペチと叩いた。
「ほら、とにもかくにも、舌、出してみろよ」
 あまりにペチペチ叩くので、モトトカゲは舌を出した。二又に分かれた舌が穏やかな風を浴びて小刻みに振れた。
「トカゲってその舌でも匂い感じれるっていうじゃん? だったらさ、あいつにまとわりついたオリーブの残り香を感じとることができればワンチャンあるんじゃね?」
 涙ぐみながらも、舌を伸び縮みさせ、空気と絡め合うようにチロチロと動かしてみた。すると、コレクレーが言った通り、道を外れた草原の辺りから微かなオリーブの香りがしてきた。そこに、ホカホカと蒸れた雄の臭いが微かに混じった。
 舌をセンサーのように出し入れし、匂いに導かれるままに進むと、なだらかな坂道を下り切った先で、コライドンがうたた寝をしているのを見つけた。仰向けに腕枕して、脚のように太く引き締まった上腕を無防備なほどに曝け出し。モトトカゲは見つかってもいないのに、慌てて丈高い草むらに飛び込んで、恐る恐る顔だけを外へ覗かせた。その音で目を覚めましてしまったらしい。ぐっと背伸びをしてから、コライドンはまた走り出した。
「今回ばかりは俺に感謝してくれよお!」
 コレクレーはにっこりと笑った。モトトカゲは黙って先を急いだ。
 草原を突き進むといきなり洞窟があって、その洞窟を抜けてしばらく道なりに走ると、辺りの風景はいつのまにやら砂漠に変わっていた。
「ロースト砂漠かあ」
 とコレクレーが事もなげに言った。ちょうど砂嵐が吹き荒れているところだった。コツコツと鱗に当たって刺すようだったし、目にも砂粒が入り込んでうまく目を開けられない。前を走っているコライドンにとってもそれは同じことらしかった。凄まじい向かい風に、しばしその場で顔を俯けて砂塵をやり過ごしていた。モトトカゲはその隙にできる限り背後に近づいた。その大きなカラダを陰にすると、多少は砂を避けることができるのだった。
 見上げれば、砂ごしに太陽がとても間近に見えた。カラダの内側からとろ火をかけられているようにじわじわと暑さが染みる。不意にコライドンがまた駆け出す。モトトカゲも追いかける。コレクレーが囃し立てる。ドンファンの群れや、砂地を泳ぎ回るメグロコの集団が連なって走る二匹を遠めから物珍しげに眺めていた。
 やっとの思いでロースト砂漠を抜けるとすっかり日暮れだった。湖を臨む草原をコライドンは右手に走っていき、大きな洞穴へ入っていった。
「今夜は列柱洞で一泊かあ、いいっすねえ……」
 従者気取りでコレクレーが言った。目を擦りながらモトトカゲも後をつけていくと、洞窟の中にはいくつも柱のようになった岩が並んで天井を支えている。デッカいイシヘンジンたちが寄り集まってこんな風になったっていうんだぜー、などと言うコレクレーを尻目に、モトトカゲはコライドンの姿を探した。
 洞の奥まった辺りで、コライドンはもう仰向けになって休んでいるようだった。モトトカゲは岩陰に潜んで、その寝息に耳を立てる。シュルシュルと出し入れする舌を通じてコライドンのカラダから漂う何ともいえない臭いを感じて、なぜだかわからず目まいがした。
 聞き慣れない足音がしたので、モトトカゲは恐る恐るその方向に視線を向けた。背中から生えた刃のようなヒレが欠けているのに思わず身震いをしてしまった。屈強な体格をしたガブリアスが、牙を剥き出しにしながらゆっくりとした足取りでコライドンに近づいてきたのだった。眠るコライドンのそばに近づいたガブリアスは襲いかかるでもなくじっとその全身を眺めていた。しばらくするとゆっくりと頭を下げ、コライドンのカラダを上から下までまじまじと観察し、カラダに密着しそうなほどに鼻先を近づけて頻りに臭いを嗅ぎ始めた。ひどく荒い深呼吸が洞穴に響きわたった。
 ガブリアスが爪の腹でゆっくりとコライドンのカラダに触れ、掠れる音を立てながらがっちりと膨らんだ胸を撫で回す。空いた側の胸には口を寄せて、ねちょついた音を立てながらしゃぶりついた。コライドンの腕がガブリアスの胸に伸びた。モトトカゲは目を覆った。
「おお、これはあっ……!」
 モトトカゲの頭上に上ったコレクレーはその様子を興味津々に見物していた。
「へえ、なかなかお熱いことしてんじゃんねえ…………おっと、ありゃデカい…………流石にいいモン持ってんなあ…………おお、熱心に咥え出したな、よっぽど飢えてたんだな…………それに、だらしなく二本とも腹からデッカくてカッタいの出しちゃって……………………おっと、早速アイツ、またがり始めたっ!…………」
 何かがペチペチとぶつかり合って乾いた音を立てるのが聞こえた。モトトカゲの顔は赤く染まっていた。手で顔を覆い、目もキツく閉じていた。低く、甘い唸り声が耳に届いた。ぴくりと目蓋が震え、ほんの少し視界が開けてしまった。指と指の微かな隙間から、二匹の姿がチラリと見えた。コライドンの腹の上でガブリアスが全身を上下に揺らしていた。頭がグチャグチャになった。彼の顔は上気し、そのままばたりと気絶してしまった。
 朝早く、コライドンが列柱洞を駆け出すのを見て、モトトカゲも慌てて追いかけた。何の変哲もなかった。コライドンの様子にもおかしなところは少しもなかった。
「まったく、昨夜のアンタは初心だったよなっ!」
 コレクレーがそう揶揄った。モトトカゲは少し立ち止まって全身をくしくしと震わせた。
「そう、怒るなよ。良く言えば、また一つ広い世界を知ったってこと、だしい?……けど、あれは珍しいもんだったぜえ、コイン1000枚より貴重かも?……」
 穏やかな草原地帯を下るにつれ、大きな湖が眼下に広がってくる。湖畔からコライドンは迷うことなく水中に入り、水を掻いて向こう岸へ泳ぎ出した。モトトカゲは考えるよりも先に湖に飛び込んでいた。
「こっからは気をつけろよ。『強いポケモンが います!』って看板にもあったし……まっ、ここまで来たら俺はアンタとイチレンタクショウするぞ! 行くぞほらっ!」
 犬かきよりは多少器用に、モトトカゲは泳いだ。周囲ではギャラドスたちが睨みを聞かせ、湖底の方からヘイラッシャが物珍しげにライドポケモンの泳ぎを見つめているのに、ビクビクしながら、モトトカゲはただ一点、ずっと前を勢いよく泳ぐコライドンだけを見ていた。
 先に向こう岸についたコライドンが花びらのように広がった尾羽を振りながら歩くのが見えた。モトトカゲは気が急いた。必死に脚を掻き回しても、なかなか前に進まないのがもどかしかった。ほら、ゴーゴーゴーゴー! とコレクレーは発破をかけた。ミガルーサが威嚇してきても、ハクリューがそばにまとわりついてきても、平静を保った。
 日が傾き出して、やっと陸地まで泳ぎ切った。ほんの少し岸辺で横になって一休みをすると、コライドンが歩いて行った方へ走る。突然、岩陰から飛んできたカイリューにぶつかりそうになり、身をかわそうとしたモトトカゲは思い切り転んでしまった。集中の糸がぷつりと切れ、立ちあがろうとしても力がうまく入らなかった。コレクレーが大丈夫か、と肩を叩いても反応する気力も出なかった。
 モトトカゲはコライドンのことを思った。こんな自分を置いてどんどん先へ行ってしまう後ろ姿を思い浮かべ、それがどんどん頭の中で小さくなっているのに、どうすることもできない。
 何かが側に近づいた。コレクレーは「おおっ」と感嘆の声を上げた。目を開き、上を見上げると、モトトカゲはまた気絶してしまいそうになった。ずっと追いかけてきたコライドンが自分のことを黙って見つめていたのだ。
「大丈夫か」
 コライドンは言った。
「疲れてるんだな。だったら、これでも食っとけ、な?」
 そう言って傍らにオボンの実を置いた。なんとか腕を伸ばしてオボンを口にすると、不思議なほど力が漲ってきた。モトトカゲはすっくと二足で立ち上がり、コライドンと向かい合った。言葉は出なかった。
「大丈夫みたいだな」
 コライドンの手がモトトカゲの頭に優しく触れた。それから、コライドンは背中を向け、別れの言葉も言わずに走り去った。コレクレーがうなじを突っついて、モトトカゲはハッとした。
「良かったじゃんかあ! これで万事休すかと思いかけたけどっ……なあ、行くんだろ? ボケーっとしてたら……置いてかれるぜっ」
 モトトカゲは再び走り始めていた。頭にはコライドンの温もりが残っていた。古びた木橋を渡り、オコゲ林道に入ると、草葉の色が燃えるような紅葉色に変化した。ノノクラゲたちが剽軽なフォームでモトトカゲに並んで走った。その様子を木陰からリククラゲが訝しそうな視線を向けている。そして、先を行くコライドンの紅色の体色は何にも増して鮮やかだった。
 オコゲ林道を抜けると切り立った高い崖道があり、そこからはあれだけ苦労して泳いだオージャの湖の全体が見渡せるのだった。胸がすく景色だった。大滝の間近に走った粗末な橋を思い切って駆け抜け、途中道のなくなったところは岩壁をつたって渡った。食らいつくようにコライドンについていった。
 やがて湖を離れ、長い坂道を伝っていくとナッペの雪山にさしかかる。走っている最中にも、コライドンは時折こちらを振り返った。その視線だけでモトトカゲには勇気が湧き出た。あまりの寒さにカラダの内側がかじかんでいたけれど、雪煙が火のように灯ったところに次々とボチたちが現れたとしても、ちっとも驚かなかった。モトトカゲは走り、雪山を上り、吹雪を掻い潜り、山中の町を軽やかに駆け抜けた。町を抜けたら、あとは一気に山を下った。コライドンはそれこそ飛ぶように走った。モトトカゲも負けじと後に続いた。勢い余って前につんのめりそうになるほどに全力で走った。白い息がブロロロームの蒸気のように口から噴き出した。
「やるねえ……」
 まるで自分がここまで育ててやったと言わんばかりに、コレクレーは満足げに言った。山を下った遥か向こうに、草原地帯が広がっているのが見えた。コライドンが振り返り、顎で行く先を示す素振りをした。お前なら着いて来れるよな? そう言っているみたいだった。モトトカゲは発奮し、無我夢中になってコライドンの後ろを追いかけた。
 どこをどう走ったのかなんてわかりようがなかった。目の前にはただコライドンの姿があるのだった。それだけを見ていれば良かった。東1番エリアの草原しか知らなかったモトトカゲは、コライドンに導かれて、どこまで走り続けることができそうな気がした——

✳︎

「おーい」
 聞き慣れない声がした。目を開ける。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。辺りを見回せば、もう雪山ではなかった。瑞々しい草がそよそよと風に揺れる水辺にモトトカゲはいた。小さな湖で、小島には古びた石塔が建っている。
 全身を金色に染めた怪しい奴が立っていた。咄嗟に背中を屈めて身構えるモトトカゲに対して、そいつは陽気に笑ってみせた。
「んだよ、焦れったいなぁ。俺だよ、俺、今まで背中に乗ってたコレクレーだって」
 まだ合点が行かなそうに目を細めるモトトカゲの胸を、黄金の指でちょんと突く。
「まあ今は進化してサーフゴーになってぇ……なあ、聞いてくれよ! 俺ぇ、さっきコインいっぱいもらっちゃってぇ、したらこの姿。すごいだろ」
 いえーい! サーフゴーは舌を出してピースサインをキメる。
「なんつうか、あんたもだいぶ逞しくなったねえ! いいんじゃないのお? これならアイツともイケるかも……ね」
 じゅるり、サーフゴーはわざとらしく唾を飲み込む音を立てた。モトトカゲは首を傾げる。ったくもう! サーフゴーは揶揄うように笑う。
「ああ、なんか名残惜しい気もするけど、お互い一人前? になったことだしなっ。ここで解散、といこかあ……ってことでじゃなっ! モトトカゲくん」
 金色のサーフボードで初めてにしては巧みにサーフボードを乗りこなしながら、サーフゴーはどこかへと去っていった。
 モトトカゲは水面を目をやり、久々に自分の姿を見た。コライドンほどではないが、確かに胸や脇の腹だとか、あちこちの肉がキュッと引き締まったように思えた。
 ほど近い大木のそばで、コライドンはいつもの姿勢で眠っていた。腕を枕にして、大っぴらに見せた腋の香りが舌に染みた。モトトカゲは音を立てないように、こっそりと近づく。列柱洞の夜のガブリアスがしたように、モトトカゲはコライドンを見下ろした。間近に見ると、その力強い肉付きがよくわかった。
 どうしてここまでコライドンを追いかけてきたのか、追いかけ続けることができたのか、モトトカゲはやっと言葉にできた、と思った。
 もっとよくその姿を見ようと、低く腰を屈めた瞬間、コライドンの腕がモトトカゲを引き寄せた。互いの喉袋がぷにぷにと密着した。
「よう」
 コライドンが声をかけた。
「よくここまで着いてきたな」
 大きくて立派な手がモトトカゲの背中を撫でる。モトトカゲはコライドンの自信に満ちた表情に釘付けになり、おかしくなりそうだった。
「ご褒美をやるよ。欲しいだろ?」
 モトトカゲはただコクリと頷いていた。

 

ちなみに元はコレクレーを出してたんですよね、けど途中からいらないかなと思って消しちゃったんですよ、という上記の話を某氏にしたところ「ミライドンこそ要らなかったのでは?!?!」と言われたのでした。オチの付け方……難しいですね