なぜかガラル転生したコライドンだけど、イケメンなのですべて何とかなった 31話

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 ガブリアスの住処は思いの外こじんまりとしたところにあった。崖を背にして周囲から孤立して生えたアカマツの木の脇に横たわる丸太に差し掛かったとき、ガブリアスが大きく背筋を伸ばしながら腰を降ろした。その様子がいかにも気安く、無防備でさえあったから、コイツは普段からここで寝泊まりしているのだとコライドンは悟った。岩壁に穿たれた薄暗い洞穴のような場所を何とはなしに想像していたので、まるで隅っこに追いやられたかのようにぽつねんとあるこの場所に、屈強なガブリアスが住み着いているのは、なんだか不思議な気がした。
「そんなとこ突っ立ってどうすんだ?」
 その場でつい立ち尽くしていたコライドンにガブリアスは言った。
「俺の隣、空いてるぜ。座れよ」
 自分が座っている横を爪でトントンと叩くあいだ、ガブリアスの目線はコライドンをしっかり捉えて離れなかった。その眼差しは有無を言わさぬように、相も変わらず挑戦的でこちらを誘惑しようとしているところがあった。
 言われた通り丸太に座る。正面にはナックル丘陵のなだらかな傾斜が見え、そこを一番上り切ったところに、ナックルシティ——ジャラランガからその街の名を聞いたことがあるだけで、当然ながら足を運んだことはない——を取り囲む城壁が覗いている。視線を別の場所に遣ると、砂漠の砂塵で見かけた岩石同士がもたれ合ってできた天然のアーチが遠目に眺められた。
 さて、どこから話を切り出すべきだろうか……コライドンが考えつつも言いあぐねている間に、隣のガブリアスは欠伸や背伸びのついでにコライドンとの距離をさりげなく徐々に詰めてくる。気がつくと二匹の尻尾は後ろ側でさりげなく絡みつきそうになっていたし、腰ももう少しで触れ合いそうなところまで迫っていた。怪しい視線が首もとから脇腹までをねっとりと舐めるように走っていた。
「どうだ、気に入ったか?」
 自慢げに自分のいる一帯を顎でしゃくりながら、ガブリアスは意味深な視線をコライドンに浴びせる。初めて会った時とはうって変わって馴れ馴れしい相手に対して、どのような言動を取るべきかコライドンは迷っていたが、ひとまずは純粋な感想を素直に伝えてみることにした。
「気に入ってんだよ、こういうとこが」
「……どうして?」
「ワイルドエリアの中じゃあ、わりかし静かなとこだしな。周りの草むらにはサイホーンが群れなしてるから、小賢しい奴らもそうそう近づいてこねえし。一匹で寝泊まりするにはいいとこだ」
 ガブリアスの受け答えは案外真面目なものだった。奴なりにこの辺りを探し回って、自分の中に抱えていた理想的な条件にピッタリと合うねぐらということなのかもしれない。この場所を見出すまでに、腕を組んで考え込みながらワイルドエリアのあちこちを歩き回っているガブリアスの姿が何とはなしに想像された。
「騒がしい方が好きなように見えるから意外だった」
「ふうん、じゃあテメエは賑やかな方が好きってのか?」
 そう言われると、断言はできなかった。パルデアで住んでいた場所も、陸から少し泳いで行った場所にある断崖絶壁の孤島だったのだから。日が暮れて、そこによじ登って戻ってきては、空から微かに聞こえるカイデンやオトシドリの遠くからの鳴き声をぼんやりと聞きながら、うとうとと眠りにつくのが、そういえば習慣だった。生暖かい風が仰向けに寝転んだカラダをそよそよと撫でるのが心地よかったし、背中に触れる岩肌のゴツゴツとした感触もまるでツボを押すように、日がな一日動き回った肉体を揉みほぐしてくれるように感じられ、それに身を任せているうちにいつの間にか眠りについたものだ——あっちの世界にいた時の感覚と記憶を、コライドンは久々に思い返した気がした。すると、あの場所で過ごしていた時がもう遥か遠い昔になってしまったように思えてきて、心の奥へ如何ともし難い郷愁が波のように押し寄せてくる。
 ガブリアスのねぐらは静かだった。草むらからほんの少しサイホーンが鈍重に動く気配がする他は、穏やかな風の音、鏡池に何かが飛び込む音が時たま、聞こえるばかりだった。それにしても注意深く耳を傾けていなければ聞き損ねてしまいそうなほどに微弱なのだ。目に見えるものこそ違うけれども、ガブリアスがこの場所に抱く感情は、コライドンがつい最近まで親しんでいた感覚に近いのかもしれなかった。こんな時に、こんな奴に親近感を抱いている場合じゃないだろうに、とコライドンは自分を恥じたくなった。
 視野の端っこでガブリアスの胸板がさっきからピクピクと脈打っているのにドキリとして、つい横目で見遣ると、待ってましたとばかりニヤニヤとした奴と一瞬目が合ってしまった。張り詰めるくらいに筋肉を詰め込んだ胸は、表面の鮮やかな橙色も相まって、とても血色が良く健康的ではあった。コライドンはため息をつく。
「落ち着くだろ? なあ?」
 誘導するかのようなガブリアスの物言いには屈しまいと、コライドンは黙って背中を丸め、眼前の穏やかな景色に集中しようとする。とはいえ言葉を交わすにつれ、ジャラランガが事あるごとに喧伝していたガブリアスのイメージとはだいぶ違っていることがわかってきたために、コライドンは奴にどういう態度で臨めばいいのか、自信を持てなくなってしまった。付き合うだけ付き合ってはやるけど、その後のことは保証しない——と、さっきはあんなに強く出たくせ、こいつのペースに持って行かれてしまっている。これじゃ、ただこいつと親交を深めに来たみたいになっちまう。手持ち無沙汰にアホ毛のような冠羽を爪先で弾いたら、ガブリアスがしてやったりとばかりに笑う。
「ふうん、黙ってるってことは、やぶさかでもねえってことだな?」
 そう合点して一方的に話を進める。
「だからこないだ言ったじゃねえか、俺のとこ来ねえかって! あんなジャラジャラジャラジャラうっせえとこなんかほっといてよ!」
 それに俺たち、ある意味もう『兄弟』じゃねえかあ? と余計な一言を付け加えてくるのが、グサリと心に突き刺さる。さっきの自分たちの姿体を思い起こし、つい頭を抱えたくなりながら、今も鱗をカチャカチャと鳴らしながら自分の帰りをやきもきして待っているのだろうジャラランガのことを考え、ヤり捨てるような形になってしまった彼らが無事に帰ることができたかどうか心配する。けれども、それはどちらかと言えば自分とガブリアスとの距離が否応なしに近づいていることを意識したくないためではないだろうか、とどこか冷静になっている自分もいた。
「……昔はアイツとデキてたんだってな?」
 少しでも話題を逸らそうとして、ジャラランガのことを持ち出した。孤島に住んでるオノノクスから聞いたんだけど、と特に言う必要もないことまで付け加えて。
「最近別れたらしいが、何かあったのか?」
「ふうん? いまそんなこと聞くけえ?」
 惚けた返事を返しながら、テメエ、やっぱり面白い野郎だぜ。そう言いたげな顔を頬の間近まで寄せて、これからお前の肖像画でも描いてやるとでも言いたげに目に力を込めて、コライドンの顔やら群青から薄紫色にグラデーションする羽根の色あいまでも目に焼き付けようとしてくる。
「何つうか……ヨリ戻す気はないのかよ」
「あるわけねえだろ?」
 ガブリアスは気怠げに上半身を前傾させて、両腕をダラリと垂らすと、半目になって悪そうな目付きをする。それがジャラランガの真似であることはコライドンにもすぐわかった。ガブリアスは悪どく笑ってみせる。
「雰囲気似てんだろ? マジそっくりだぜ、コレ」
「そんな真似できるくらいつるんでたのに、仲違いしたのか」
「あのバカがジャラジャラうぜえのが悪いんだ」
 ジャラランガの姿勢を真似ながら惚けたように口を半開きにして、口端からヨダレまで垂らして見せるのには、いささかの誇張と揶揄が混じっていた。
「けどなあ、そんな話なんざ、クソほどどうでもいいじゃねえか? 肩の力抜けよ」
 そう言って、ガブリアスはコライドンの腰に腕を滑り込ませた。ぷっくりと力こぶを作った二の腕がコライドンの弓なりにカーブした背中にギュッと頬ずりする。クソっ、もう耐えられねえよ……とばかりにガブリアスは鼻先をコライドンの首筋に押し当てて、轟音を立てながら強靭な雄の臭いを吸った。
「ったく、あのゴリラ、ほんと馬鹿でトンマだよなあ……!」
 マシェードの胞子でトリップしたかのようにうっとりとした表情を浮かべながらガブリアスは言った。
「テメエみたいな奴が目の前にいたら、どんな雄だって頭やられちまうに決まってんだろうがあ……テメエに自覚あるかわかんねえけど、マジどスケベなんだからなコライドンさんよぉ……アイツだってそう思ってたに決まってる! けど、どうしようもねえ馬鹿だから、勝手に自分のこと押さえつけて結局損しかできねえんだ、馬鹿だよ、ほんとクソほどしょうもねえ馬鹿! ああ、莫ァ迦!」
 発達したガブリアスの胸筋がまるで一つの臓器のようにコライドンのすぐそばでまた敏感んに脈打った。コライドンもコライドンとて、抑えつけようもない本能がガブリアスの肉体にひどく反応していることを否定しようがなかった。奔放で粗野で、称えられるべき垂涎もののガタイだった。どんなに体裁を取り繕おうが、プテラオンバーンの二匹組を交えてあんな行為をしてしまったからには、結局のところ、そういうことをしたいがために、パルデアへ戻るだの、居候先のジャラランガへの配慮だのはひとまずは二の次にして、ここに来てしまったのだということを薄々ながらコライドンは悟り、巨大な花のような尾羽がしゅんと萎れるように閉じてしまうのを感じた。