雑記231020

 
 書き散らしたものをこうしてネットに公開している以上、誰にも見られていないということはありえない、というのは表現者(?)として安心できることではあるけれど、だからこそ書くことには気をつけなさいよ、ということも肝に銘じておかなければならない、と思う。
 岡崎乾二郎という画家の『絵画の素』という本にこんな一節があり、印象に残った。
 
ナイーブ、とは自分の中に起こる感情や感覚に、無防備ということである。自分の中に沸き起こる感覚や感情を、危険と考えることもなく、そのまま曝け出して平気なのは、よほど力のある者に保護され甘やかされているのか、自分自身に自信があるからだろう。
 
 そういう「ナイーブ」な人の例として、スサノオアーサー王といった神話上の英雄がこのエッセイでは挙げられている。確かに彼らは古典のなかで人目を憚ることなく感情を剥き出しにする人たちであるし、同様の例は人それぞれ、文学だろうがマンガアニメだろうがいくらでも挙げることができる(神話だったらほぼほぼ同性愛的な絆で結ばれていたパトロクロスの死を知って号泣するアキレウス。というかホメロスの『イリアス』自体、アキレウスの激情を巡る物語だ)。
 これはあくまで神話の話であって、視点を現代に向けて見ればナイーブな連中とは「よほど力のある者に保護され甘やかされているのか、自分自身に自信がある」俗界の連中ばかりである。政治資金の不正か何かで野々村という地方の議員が会見で号泣というか大絶叫しながら支離滅裂な弁明をした時、世間はその姿に感銘を受けるどころか笑いを堪えることができなかったものだが(痛々しいのではなく単純に面白かったのは、案外優秀なナイーブさかもしれないが)、もう10年近く前だ。
 SNSに転じてみれば、というところで話が戻る。そういう「ナイーブ」な蛮勇の持ち主たる人々の呟きは、日々TLを埋め尽くしている。そういう自分も、書きあぐねたり、原稿が間に合わなくなりそうな時にはひどく気分が荒れて、その感情を覆い隠すこともなくツイートしてしまうことがある、というかこないだあったばかりである。
 フォロワーもさして多くない自分のようなヤツが言ってもみっともないからやめた方がいいのに、と思いつつ繰り返すのだからいたたまれない。確かに感情をストレートに表現するのは気持ちのいいことに違いはないのだけれども、角が立つのも良からぬ。それで人間関係悪くしたり、ひいてはコミュニティにいづらくなってしまう、そう変な破滅願望を抱くのは格好が悪い……そうとりとめもない自制をして、言うことも思いつかないので終わる。
 今月中にいっぺん更新をしようと取り組むのだが、一文書くたびに筋が通るだろうかとか、この理屈は馬鹿げていないだろうかと、立ち止まって考えてしまう、次第に集中力が切れる、関心がほかのところへ移ってしまう。前進はしているんだろうが、もどかしい。